とあるアンサイクロペディアンの考察
こんにちは。27のはしよMk-3(メンバー紹介のところには本名が出ていないのでここで言わせてもらいます。橋本善仁)です。ブログリレー、個人的には面白い企画だと思います。読んでいるとやはり、個性がみてとれますね(達観)。
話は変わりますが、この記事は1月11日に執筆しています。Gullsで一番若い部員から言わせてもらうと成人式というのはまだまだ先の事なのでそれ程実感はわいていません。なんといっても華の10代ですから。
閑話休題、さて今日書く内容は自分が三度の飯より大好きな哲学と、トライアスロンについてです(長文苦手な方は読み飛ばしてもらってもOKです)。 それでは、ある事例から考察していきます。
足に障害があるゴルファーがいました。彼はゴルフコースを歩きまわることが大変なので大会でゴルフカートの使用を認めてもらえないか、と彼は訴えました。
答えは「ノー」。「不公平になる」という理由からです。彼は最高裁まで上告しました。ただのゴルフカートの問題に。
「ただホールからホールへの移動にカートを必要としているだけだ」と彼は言いました。では、このケースはどうするべきでしょうか?
最高裁はゴルフの本質的な要素というものに基づいて、彼にカートの使用を認めるべきだという判決を下しました。
その判決の多数派の意見として、ある判事は「ゴルフの本質的な要素とは、ゴルフボールをある位置から穴まで少ない打数で移動させることであり、歩くことは本質ではなく二次的な要素でしかない」と述べました。
しかし、面白いことに反対意見としてある判事は「ゴルフのようなスポーツの本質的な要素を決定することはできない」つまり、「気晴らしという以外の目的がないということがスポーツの本質なのであり、それこそが生産的活動とスポーツを分けるものであるため、任意で決められたスポーツのルールの、いずれが本質的であるとも決めることはできない。」といったのです。
問題となっている活動の本質は何か。自分がどういったことを活動の本質とするのか。これは、同じスポーツという枠の中にあるトライアスロンという競技にも投げかけられる質問だと思います。ちなみに自分はこの答えを考える時間があるのならば練習した方がより効率的だと思います。
中途半端な話ですみません。やはり文章には個性がでますね。では最後に他の27が知りたがっている東広島のサイハテ村のような自分の家の周りの風景の写真で終わりとさせてもらいます。
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