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いつかやろうバカ野郎

  • 執筆者の写真: 29Gulls
    29Gulls
  • 2017年9月21日
  • 読了時間: 8分

インカレが終わったらブログを書こう。

最後の全体会(ミーティング)が終わったら書こう。

28渡邊が初ブログを投稿したら書こう。

台風18号が落ち着いたら書こう。

いや、岸和田のだんじり祭りが終わったら書こう。

Youtubeの急上昇動画1位にあった、

「2017年9/17春木中町だんじりこけた! 」

を見て、伝統って怖いなーと思った

27藤本です。

Youtubeは「ロードバイク クラッシュ」と検索して、

出てくる動画を、ちょくちょく見ています。

内容は大集団での落車や、命にかかわる危険な落車映像で、

皮肉にも、再生回数がとても多いのです。

僕がこれらの動画を見るのは、もちろん、

自分のロードバイク技術に対する過信を戒めるためであります。

自分でいうのもなんですが、

僕は「Gulls1リスク管理ができる男」といっても良いくらいです。

なぜなら、

バイク練で、野呂山という山に登って、

ヒルクライムは一斉スタートして、選手の中で、最後から2番目でした。

これは単なる実力不足というか、

ヒルクライムはペダルを回せば回すほど速く登れるので、

そういう意味では誰でも一番になれるから、仕方ない部分があるのですが、

一方、急な斜面を駆け下りるダウンヒルは、

単にペダルを回せばいいわけではなく、

スピードが上がりすぎると落車という危険があり、

非常に頭を使ったリスクの駆け引きが重要になってくるのです。

普通に考えて、ゆっくり降りるのが1番安全です。

それゆえ、僕は選手の中で圧倒的に1番遅かったですから。。。

あとは、自転車乗りの世界では常識ですが、

「年末に車が多い中一人でロングライド=死」を意味するのです。が、

僕はそれをあえて敢行し、

左肩を骨折するくらいで済んでますから。

とはいえ、

最近は、リスク管理の観点から、だんじり動画にはまっています。

だんじり祭りで有名なのは、大阪は岸和田のやりまわしという、

地車と呼ばれる車輪付きの屋台を、曲がり角やS字などの、

通るには厳しい難所をあえて猛スピードで通過するあれです。

皆さんも1度くらいはテレビとかでみたことがあると思います。

普通に考えてすごく危険なやりまわし。

なぜそんなことをするのか?

だれがはじめたのか?

なぜやめないのか?

僕は疑問を抱き、ぐぐってみました。

ところが、どっこい。

やりまわしの理論や技術についてのページは

たくさん見つかったのですが、

これらの疑問を根本的に解決する答えを見つけることができませんでした。

だから、僕は、

やはり、伝統だから。

という結論で納得することにしたのです。

確かに、あんなに大きいものが高速で角を曲がったらスリリングで見応えがあるし、

なにより、岸和田のだんじり祭りをここまで有名にした所以でもあるし、

魅せることができるから続いてるんだろうなと。

ときにはやりまわしの地車が、

電柱や信号をなぎ倒し、近くの民家に激突することがあり、

一見すると、近隣住民の方はさぞ迷惑だと思うのですが、

地車の激突は、神様が激突してくれたから逆にありがたいことになるそうです。

なぜ、こんなにだんじりについて語ったかというと、

端的にいって、

約2年Gullsで過ごしてきた今だから言えますが、

Gullsといえば、だんじりじゃないですか。

「Gulls=だんじり」みたいなとこあるじゃないですか。

遠征とか合宿とか、なにかイベントごとで、

みんなで集合して記念の写真をとるときの最後のあれです。

普通に考えてすごく危険じゃないですか。

なぜそんなことをするのか?

だれがはじめたのか?

なぜやめないのか?

僕は疑問を抱き、色々な先輩に聞いてみました。

しかし、どの先輩方も答えは同じでした。

やはり、伝統だから。

現役を終えた今、僕は正直、危惧しています。

「201X年9/17東広島市西条町Gulls記念写真こけた!」

という動画を再生する未来にならないか。

伝統は受け継がれるものであり、

受け継がれるから伝統であります。

Gullsの後輩たちが理不尽にもこかされるのは、きっと、

先輩方からの愛が激突したありがたいことなのだと思います。

閑話休題、

とりあえず、広島東洋カープがリーグ優勝(2連覇!)したので、

約2年前の振り返りブログを書こうと思います。

2015年10月14日。

はしよマークⅢ(27橋本)の付き添いで

広島大学トライアスロン部Gullsへ見学に訪れた僕は、

ローラー練というものを初めて見ました。

今ではすっかり、見慣れてなんとも思わなくなっていますが、

風の抵抗を受けないようにデザインされたとは名ばかりの、

ボディーラインがもろに出るピチピチとしたバイクジャージ。

一瞬、なにかのコスプレか?

変態か?と勘違いしてしまうような格好をした人間達が、

バカみたいに汗を流して、

1ミリも前に進まないバイクを必死に漕いでいる光景が目の前にあったんですね。。。

僕は、ワンチャン、聞き間違いで、

「ローラー練」ではなく「ローラ練」

すなわち、キャピキャピした女子大生たちが、

かわいくてセクシーなローラみたいになるべく

ローラ(本名:佐藤えり)のモノマネをする練習かと、

期待に胸を膨らませました。が、

現実は、ゴリゴリの男ばかりでした。

僕は、とんでもないところにきてしまったなと思いつつ、

先輩に、

「ローラー練の見学なんてつまらないと思うけど、ごめんね。」

と、声をかけられ、

「……いや、新鮮で面白いです。」

と作り笑顔で答えたのは、19歳の秋。

****

1時間半後ーーー。

「 今日のラン練は5000TTをしま~す。」

「TT」という聞いたことのないワードが引っかかった僕でしたが、

まあ、とにかく走るんだなと理解しました。

なんとなく準備体操をはじめたとき、

「え、君走るの?」

みたいな空気がそこにはありました。

僕もさすがにわかっていました5000が5kmを意味することを。

そして、走りきれるかどうか微妙であることを。

確かに見学初日、かといって、なめられたくない。

僕にだって守らなければならない「大切なもの」がある。

その「大切なもの」がなにか、

具体的に言葉で説明するのは難しいけれど、

でも、分かっているのは、それが「1番大切なもの」であるということ。

数分後、選手全員と僕はスタートラインにたちました。

さあ、僕のトライアスロン人生はここからはじまるーーー。

「よーい、ハイッ!」

サ行の多いマネージャーさんから発されたスタートの掛け声は、

まさに地獄へのスタートの掛け声そのものでした。

陸上競技場の赤い部分(タータン)を、全員がスタートしたかと思えば、

僕は一瞬にして取り残されました。

運動ができるできないという話は抜きにして、

運動することは好きでした。

受験勉強、大学に入学して半年。

まともに運動した期間のブランクはあるものの、

体育の長距離走では速い方だったし、

運動できそうな顔してるって言われたことあるし、

川内優輝(市民ランナーの星)尊敬してるし、

なんとかなると思っていました。が、

地獄でした。

息が苦しくて、吐きそうでした。

軽く走ればよかったんです。やめたらよかったんです。

でも、それはできませんでした。

「大切なもの」があったからです。

みんな全力で走ってるじゃん。

そしたら僕も全力で走るしかないじゃん。

見学初日目なのにイキって走ってしまった後悔と、

5000mがトラック何周かわからない絶望が、

押し寄せました。

後ろからどんどん抜かれ、みんなに周回差をつけらていく。

意識が朦朧とするなか、僕は思いました。

ああ、なるほどこれがTT、

「T(とりあえず、)T(たすけて。)」かと。

なんとか走りきった僕は、タイムが気になりました。

「すいません、僕は何分でしたか?」

限界突破して、意地で走りきった5000m。

例えどんなに遅かろうが、

このタイムを知ることなしに明日を迎えられない。

そう思って、マネージャーさんに恥を捨て、勇気を振り絞り聞いてみました。

そしたらこう言われました。

「えっ、TTしてたの?」

後半しんどすぎて、走るペースが遅かった。

そんな僕はきっと、ジョギングをしているようにしか見えなかったのでしょう。

初めてのTTは、

記録なしでした。

ただ、走りきった後の達成感が素晴らしかった。

この感動こそ、僕が約2年トライアスロン部で頑張ることができた、

原動力といっても過言ではありません。

****

自分の限界を出し切るということ。

たとえどんなに遅くても、最後まで走りぬくということ。

記録ではなく記憶に残るということ。

5000m走りきった後に見上げたあの秋の夜空。

ーーー広島大学トライアスロン部Gullsを引退した今、

あの日のことを思い出します。

今の僕は、TTできているだろうかーーー。

大学生活、軽くジョギングしていないだろうかーーー。

「よーい、ハイッ!」と声をかけてくれる人は、もういない。

はたから見ればコスプレしたような変な集団、

未知の言語(TTとか)が飛び交う世界に、

あのときのように、

臆することなく、果敢に挑戦していけているだろうかーーー。

人間には寿命(タイムリミット)があって、

言ってしまえば人生はTTのようなもの。

だからこそ、

できることなら、

結果的に記録なしになったとしても、

僕は、一生TTし続ける人間でありたいと思っています。

夜空に星が輝く、21歳の秋。

See you again!

 
 
 

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