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IRONMAN ― Prologue ―


久しぶりのブログ投稿になります、03の奥田です。長文を綴るのが大いに苦手というのは大学のレポートで散々思い知らされていますが、来シーズンに向けて自分自身をさらに理解するためにも、この場でなるべく詳細に2週間前(追記:現時点で3週間前 追追記:ちょうど一か月経ちました(10/15))のアイアンマンみなみ北海道の振り返りを文字に起こそうと思います。頑張れ自分

 

 レース約1週間前~


 意識したことは、①自分でも心配になるほど練習をサボること、②カフェインを抜くこと、③生活リズムをレース当日に合わせること、④レースシミュレーションを行うこと…くらいだったと思います。


  1. については、3つの理由があります。1つ目は、私の崇拝するTriathlon Training Bible に則ったシーズン計画において、レースの2週間前からピーキングを行う予定であったためです。しかし、実際にピーキングはレース1週間から行うことになります。これは2つ目の理由に起因します。それは、レースの約1ヶ月半前から疲労の抜けない日々が続いたことです。そのために、体調を見ながら毎週大きく翌週あるいは翌日・当日の計画を変更し、結局疲労が抜け切らないままダラダラ練習することになりました。それで、残り10日前くらいから練習強度を落としました。3つ目の理由は、ピーキング中、ペダリング時に膝の痛みを感じたことです。私には、重要なレースやTT前にどこかしら痛めるというジンクスがあるのですが、ここに来てやっぱ痛めるかと思いながらも、レースまで1週間を切って悪化させるわけにはいかないので予定よりさらに練習強度を落としました。

  2. これは、レース本番でカフェインの本領を発揮させるためです。自分の場合、普段カフェインを取って目がバキバキになることはありませんが、午後に摂ると夜眠れなくなるので、レースでなんか知ら効果あるだろう(願望)って感じでした。ちなみにレース中は「カフェイン効いてるぞぉぉぉ」って感じは全くありませんでしたが、集中力を切らさずに完走したことを振り返って考えてみると、効果あったのかなと思ってます。

  3. レースは6:30スタート、それに向けて3~4時に起床という予定でしたから、夏休みの8時起き(もっと遅かったような…?)に慣れていたら当日きついのは目に見えてます。そこで、レース当日ほど早くなくとも6時ごろには起きようとしました。が、それが出来たのはレース3日前くらいからでした。

  4. 4hローラー をレースの1週間前に行う予定でした。しかし、1h過ぎから膝に違和感を持ち始め、2h経った時にはこれ以上やるとレースに支障をきたしそうと思い中断。ブリックに切り替えて周回コースを2周(計約6km)走りました。新ユニフォームで走る練習になったことと、普段あまりブリックをやらないことから結果的にいい調整になりました。

 

2日前

 苫小牧市の実家から北斗市へ現地入り。実家へはその4日前に帰省していました。現地への行き帰りの運転をしてくれた母には頭が上がらないです。

 現地入り後まずは選手登録に向かいました。そこでお会いしたのが今年IRONMAN Hamburg で8:32の記録を打ち立てた菊池選手で、レースの話をしつつ応援してくださいました。その後はEXPOで、トライアスロンコーチのMihoCにもお会いし、Hypericeのリカバリー機器を体験しながらレースプランについてアドバイスをいただきました。そして予約していたアミノバイタル主催の補給戦略講座に参加しました。そこで色々と勉強になることはあったのですが、特にアミノバイタル各製品の役割、ジェルを複数個ボトルに注いで水で薄めるという方法を学べたことが自分にとっての収穫でした。夕方は橋本さんと藤井さんに合流して一緒にご飯を食べに。場所はやっぱりラッキーピエロ、函館に来たら外せない食事の一つです。その後ホテルに戻り、この日は完全オフで一日を終えました。


 

1日前

 

 この日は、バイクとランの道具を預けに行きました。最初にT2付近まで車で向かい、1周14kmのランコースをバイクで試走した後にランの道具を預けました。試走の印象は、線路を超える2つの坂さえ乗り切ればド平坦、って感じ。それからT2付近で昼ごはんにそばを食べ、T1へ。まずはオフィシャルのチェックを受けてバイクとその道具を預け、つぎに試泳。その日は波もなく穏やかでした。水温は24℃くらいで、32℃の広大プールに慣れていた自分は寒く感じるんじゃないかと思っていましたが、ウェットスーツを着て泳ぐと意外と大丈夫で、レース中の不安が一つ解消されました。そのあとは、ホテルに戻ってゆっくりした…と思います、記憶が薄れかけてる…。夕食はホテル真正面にある焼肉店でした。何食べたかよく覚えてませんが、おいしかったのは覚えてます。あと、ドリンクに夕張メロンソーダがあったんですが、普通のメロンソーダでした。食事後、ホテル真横のローソンで翌朝の買い出しをして、ホテル到着。就寝直前に、アミノバイタルゴールド顆粒タイプとグリナを飲みました。


 

 

レース当日

 

 当日の朝はこんな感じでした。

                                                            

              3:30 起床 朝食

              4:30 橋本さん・藤井さんと合流(確かこの時間…?)

              5:00 会場近くの駐車場到着

              5:15 会場到着 ~ バイクの空気調整、荷物預け

              6:00 試泳

              6:30 レーススタート!!!!



 スイム 6:08:15

 

 当日の朝の海は波立っていて「これがOWSか!」って感じでしたが、波が高すぎて怖いというほどではありませんでした。それよりも、遠浅な海だったことでスタートラインを切ってから50mくらい歩いたのが印象に残っています。(ここからの部ブイや人員の配置は記憶が曖昧なので、間違ってたらすいません。)

 いよいよ歩きにくくなって泳ぎ始めたわけですが、一個目のコーナーブイは300m先で全く見えない!と思い、蛇行によるタイムロスの不安が頭をよぎります。そこで毎ストロークのヘッドアップで周りを確認すると、ガイドブイはないが両サイドに点々とレスキューの方が並んでおり、ローリングスタートによってある程度縦に選手が並んで泳いでいるのが確認できたので、左端のレスキューの列に沿って泳ぎつつ流れに身を任せていくことで蛇行を防ぐようにしました。いざ第1コーナーブイについてみると、底面が横を向いた白い円柱のような形で高さは1mくらいだったと思います。「いや見えないだろ!!」と心の中で叫びながら反時計回りに回って500m先のコーナーブイを目指します。

 そこまでは両側にガイドブイがあったと思います。でも、このときには後ろに付くと丁度良いペースでまっすぐ人がいたので、ガイドブイにあまり頼らずとも泳げました。何やら人が溜まってるなと思うところまでたどり着くとそこがコーナーだったのですが、沖ノ鳥島みたいな扁平で小さなブイだったので「だから見えんて!!」とここでも心の中で叫んでいました。そこからは一定間隔で置かれたコーナーブイに近づき、それに沿って泳ぎました。途中で海藻に絡まった記憶があります。3つ目のコーナーブイはあんまり覚えてないですが、特段大きかったわけではなかったと思います。あとはガイドブイに沿ってまっすぐ浜に向かうだけ。1周目を終えて上陸したとき、最低限切りたいタイムである35分より2分ほど速く上陸でき、1周目で飛ばしすぎた感もなく、まあこのペース維持で目標ペースは達成できるか、くらいの心の余裕がありました。

 タイムを狙ううえで大変なのは2週目スタート~第1コーナーブイまででした。時間経過とともに選手がばらけていて列がなく、さらに少し波があって見渡しづらく、ヘッドアップしても最短のルートを見つけられないのがもどかしかったです。そこで、息継ぎしながらレスキューの方たちと一定の距離感を持つ意識でまっすぐ泳ぐよう努めました。その後は1周目と同じノリででスイム終盤へ。遠浅のため、砂浜から50m強手前ですでに歩いてる人が結構いたと思います。それくらいの位置で自分も海が腰くらいの高さだったのですが、砂浜に向かう波もあり、歩くのと泳ぐのどっちの方が速いのか?とか思いつつ歩いて泳いでを繰り返して上陸しました。ここでスイムの目標より1分速く上がれたので、心に余裕を持ちつつバイクに向かいます。


 

T1 4:20

 

 上半身のウェットスーツを脱ぎながらトランジバッグを手に取り、すぐさまテントの中へ。この時に、バッグに入れていたビンディングシューズも一緒に履きました。忘れ物が無いよう、バッグの中身が空なことを確認してスイムの道具を突っ込み、テントを出てバッグを預けバイクのもとへ。特にアクシデントなくバイクのスタートを切れました。

 

バイク 5:24:03

 

 スタート直後は追い越し禁止区間があり、どうせスピードは出ないだろうと考えてそこでジェルを補給します。それからすぐに自動車専用道に入ります。「トイレ行きたっ!」とこの時点で膀胱に限界が。でもここでロスしたくないという気持ちと、「序盤でトイレ行きたくなったら、我慢する方がかえって遅くなるから我慢しない方がいい」という橋本さんのアドバイスがせめぎあってる間に、9km地点でタイミングを逃し、やっぱりしんどいのでトイレに寄ることに決めます。次は21km地点だったのですが、場所がよく分からず逃します(2周目で人が並んでるのを見て分かった)。その時すでに限界を超越してましたが、気合でこらえて16km先の37km地点まで向かいます。バイクが始まって1時間ちょっとでようやく用を足し、すっきりしたところで再開です。ここまでの間、水分・栄養補給は尿意のためにかなり渋りましたが、予定通り摂取し続けました。(セミナーで学んで、ジェルをボトルに詰めたやつ↓)

 

 

 約60km地点で右膝に違和感というか、小さい痛みというかを感じ始めます。痛み来ちゃったか~と思いつつ、「このレースのために、練習期間は痛みや違和感があったらすぐ中断して準備してきた。今はその待ちに待ったレースなんだから体が裂けてもやりきるぞ」という思いでそのまま続行し、痛みはすぐ感じなくなりました。

 約70km地点だったと思います。ここで太腿が攣る前兆を感じ、すぐさまPrecision 1000の粉を直飲みします。これはEXPOでお会いした菊池さんがおすすめしてくださった方法で、これまで練習でやったことはまったく無くて実践投入するかは当日の朝まで悩んでいました。しかし、思ったより早い段階で攣りそうになったので使いました。それが直接の原因かは分かりませんが、その後もバイクで攣ることはありませんでした。

 その後は特にトラブルなく、淡々と目標ワット数で漕ぎ続けました。レース中の感覚的にも、Strava上でも、後半で垂れるということは一切なかったです。

 4.5~5時間経過したところでボトルに入れたエネルギージェルを完食し、それからはMourtenのCAF100を摂ってランに向けたカフェイン投入です。

 最後に自動車道を降りて、T2に行きます。

 

 

T2 4:38

 バイクをかけてトランジバッグを取り、椅子に座って着替えたわけですが、立ち上がったときにひどく体が凝った感覚がありました。今思えば、よくすぐさま走れたなと思いますが、カフェインのおかげだったのでしょうか(?)。

 

ラン 3:41:39

 

 まずはすぐそこにあったトイレに直行し、それからランを始めました。14kmの3周回。走り始めると案外体が動き、気持ち楽に抑えたペースで5’00/kmより少し速いくらいでした。途中で同じくらいのペースで走る選手に会い、少し話して気を紛らわせながら走ります。それからまた一人になり、エイドでアクエリを摂って自前のCAF100を食べながら走ります。

約5km地点で攣りそうな感じがあったので、Precision 1000を再度投入します。それからは、線路を越える坂がきついと思いながらも一定ペースで1周を終えます。

 2周目に入った途端、ガクッとペースが落ちます。「疲労なのか、エネルギー不足なのか、どっちにしても補給をとるしかない」と考え、それからは潔くペースを落として各エイドでジェル・コーラ・アクエリを補給することにしました。なかなかペースが戻らない中さらに攣りそうになるも、もう粉はないのでアクエリを忘れず各エイドで摂りました。結局、ペースは戻らず、かといってそれ以上落ちずに2周目を終えます。

 3周目は、トイレ行きたい欲(便意)との戦いといっても過言ではありません。しかもそれが、じりじりとピークを迎えると無くなり、そうかと思えばまたやって来るというのが厄介でした。この間、走りについては、ペースを戻そうと試みるもキープ出来ずにまた落ちる、というのを繰り返していました。補給については、今補給しても消化の時間を考えればランのエネルギーにはならないし、余計にトイレに行きたくなるだけだろう、と考えてアクエリで電解質補給することだけを意識しました。あとはなるべく無心で、ひたすらキープ。


 

 ラン中、特にペースが落ちたとき、「サブ10は厳しいな、せめてサブ10.5しよう。そのためには最低限どれくらいのペースで走らなきゃいけない?」と色々考えていましたが、ゴールの手前、残り5kmくらいのところですでに安堵し、残り2kmで何があっても絶対サブ10.5いけると確信していました。それは、1,2周目で周回残り約2kmにわたって沿道の熱い応援があり、ペースが上がることはあっても下がることはないと知っていたためです。

 沿道の応援を抜け、カーペットの上を駆けてゴール。直前でどんなポーズでどんな声を上げればいいのかという疑問が浮かびましたが、特に答えが思い浮かばず、「よし!」と言ってゴールテープを握りしめてフィニッシュラインを切りました。

 

 

総合タイム 10:22:52

総合順位 27/1,310位

年代別順位 2/13位(男子18-24歳)

 


その後

 

 翌日はロールダウンセレモニーと表彰式がありました。ロールダウンは、各年代別で決められた数の世界選手権出場枠が上位選手から順に割り当てられ、そこで出場意思表明をしない選手がいれば次の下位選手に回ってくるというものです。セレモニーのアナウンスで初めて自分の年代別に割り当てられた枠が知るのですが、そこで聞いた枠数は1つで、残念だけどまあしょうがないと思っていました…が、1位選手が出場しないということで、チャンスが自分に回ってきました。千載一遇のチャンス!世界選手権への切符を手にしました。

 そのあとすぐに表彰式があり、トライアスロンで初めて表彰台に立つことが出来ました。表彰台に立った時は、自分なりに結果を残せたんだと実感してとても嬉しかったです。

 

これから

 

 来シーズン最大のレースは2025年9月14日に開催されるIRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP NICE FRANCE に決まりました。それまでにクリアすべき課題は山積みですが、何よりも年間を通して意識したいのはボリュームです。今シーズンは頻度を落とさずに練習できた点では良かったですが、圧倒的に量が足りていませんでした。学業面ではこれから卒論にとりかかりますが、うまく時間を管理して両立したいです。細かく言えばキリがないですが、スイムではペースを、バイクではパワーを、ランではペースを基準に目標を立て、怪我に気を付けてコツコツと継続して練習していきます。

 

 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!応援があってこそ、120%の実力を発揮できたと思います!Gullsの皆さんはこれからも練習に参加するのでよろしくお願いします!

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