SKY WALKS 〜逆転のロイド〜
エピソード5
逆転のロイド
日本代表選手団にとって試練の時だった.
天気予報は悪天候を予想しながらもサモリンはそれを跳ね除けウェットコンディションレースからの解放を余儀なくした.
警戒すべき降雨から逃れた彼らは波浪と減速の根源「風」に新たな注意を払った.
高きハンガリーとニュージーランドの壁を打ち破ることに執念を燃やすテッペルは無数のジェルを体内に逐一注入したのだった….
朝6:30
ブラチスラバの上空は厚い雲に覆われていた.
「これ見て!」
助手席の青野夫人が振り返る.
スマホでレース会場のサモリン上空の雨雲レーダーを見せてくれた.
なんとサモリンを避けるように雨雲が渦巻いている.
「こんな雨雲の動き,台風以外に見たことないわ~」
「ヨーロッパの雲の動きって,やっぱり日本と違うんですかね?」
後部座席の村上教授と山内さんが雨雲の動きを見て感心している.
その2人に挟まれて座るテッペル.
レース当日も穏やかな会話が車内で繰り広げられるおかげで,変な緊張をしなくて済む.
非常に心地良い.
サモリンには何かいる.
そう思うことにした.
雨が降らないのは全員同条件だけど,これは間違いなく日本選手団を後押しする「神風」だ.
レース2時間前.
会場に到着.
すぐにユニフォームチェックとトランジッションエリアの最終チェックへ.
あいつらのバイクがあった.
GIANTにCervelo,CANYON,全員TTバイクだ.
やってやろうじゃないか.
W-upのため,荷物を青野夫人に預ける.
青野夫人が居なければ,こんな自由に動き回れなかっただろう.
感謝と同時に,コーチやメカニックを派遣しなかったJTUをちょっと恨む.
いつも通りのW-upをこなす.
ありがたいことに前日夜からこのW-up中まで,日本から多くの応援メッセージが届いた.
このレースに出場が決まってから,たくさんの人に声をかけてもらった.
その1つ1つに気合が入る.
W-up関係なしに心拍が上がる.
レース30分前.
ウェットスーツを着用し,スイムチェックのためドナウ川へ.
そこには驚くべき光景が広がっていた.
ドナウ川は,2日前と姿を変えていた!
水面が激しく波打っている….
雨は降らずとも風が強いためだ.
まるでコースロープを外した広大プールで練習しているときのように….
少し泳いでみる.
波は高くないが,楽には泳げない.
ブイもさらに見えにくくなっている.
陸に上がりスタートを待つ.
バイクも向かい風区間がきついだろうな….
そんなことを思っていると,タイプが異なる日の丸ユニフォームを着ている男の子が.
梶君.パラ部門にエントリーしているハタチ.
右手が不自由でスイムは左手のみ,バイクは通常通りだが,ランも走りにくいらしい.
なんと少し前からオランダに在住して練習しているらしい.
日本は兵庫県出身でTEAMブレイブに所属していたそう(藤井のことも知っていた).
梶君や日本選手団と談笑していると,徐々に選手が召集場所に歩いていく.
ウェーブスタート順は大まかにエリート,パラ,エイジ若年層,その他,女子となっている.
近くに同じ年代,20-24歳のハンガリー人を見つけた.
簡単に,同じカテゴリー同士頑張ろう,的なことを話した.
エリート,パラがスタートする.
そしてテッペルのカテゴリーのスタート時間に.
入水する.
スタートはフローティングスタート.
当然周りには屈強な外国人ばかり.
あまり嫌な感じはしなかった.
彼らにどれだけ通用するのか,楽しみの方が勝っていた.
楽なようで難しい道のりだった.
ここまで来るのが想像以上に長かった.
やっとスタートラインに立てた.
BGMがフェードアウトし,一瞬の静寂に包まれる….
\\On your mark, ……//
パァーン!!!
始まった.
さあ,約4時間プッシュプッシュだ.
思ったほど接触やバトルはない.
遅れている感じもない.
最初は焦らず,大きく泳ぎの確認をしながら泳ぐ.
「竹村さんもキャッチ,あまりできてないっすね!」
少し前にGoProで撮ったテッペルのスイムフォーム映像を観た01玉麻の発言を思い出す.
はい,分かってます,丁寧なキャッチを意識しますよ.
序盤は少しペースが速い2,3人の後ろをついていたが,徐々に離されていく.
「焦っても良いこと一つもないっすよ.」
脳内になぜか01松本響登場.
奴のように,気にせず大きく泳ぐことに.
少しして後ろから5,6人の集団が来るのが,息継ぎの際に脇越しに見えた.
後ろに付くと丁度いい速さ.
広大プール練,Bコースの面々の顔が浮かんだ.
先頭を泳ぐ奴は03樋口,このキックが強い奴は01小松だな.
そんなことを想像しながら,異国の地で皆とチェーンスイム.
スタートして数十分,当然余裕はまだある.
その後は特に何もなく,スイムアップ.
さて彼らはどこにいるのだろう.
ドラレースでもないのに,ブルーカーペットをダッシュ.
かますとこはかます.
「いいよ,速いよ!」
青野夫人の声が届く.
そうなんすよ,絶好調なんす.
Collins Cup仕様のブラックカーペットが敷かれたトランジッションエリアへ.
「スイム→バイク」バッグを持って,更衣テントに飛び込む.
いた,105番.
ニュージーランドのロイドだ.
トランジッションにてこずってる.
あえて隣に行ってやった.
早脱ぎを披露しヘルメットとサングラスを装着.
スイム道具一式をバッグにしまい,待機オフィシャルに手渡す.
ロイドをオーバーテイク!
自分のバイクラックへ行き,バイクをピックアップ.
「ゴー,ジャパ~ン!!」
そんな歓声が届く.
観客のみなさん,注目です.
これが倭の国伝統の技
「TOBINORI」!
あまり必要性がないものの,かますとこはかます.
見事,成功.
ドリンクを取りながら序盤のテクニカルな街中を抜け,すぐに広々とした平坦道へ.
DHバーを握り,プッシュしつつもペダリングを意識しながら進む.
なるほど,まあまあな追い風だ.
つまり帰りは向かい風.
後半は辛くなる.
勝負は復路.
拍手や歓声で応援してくれる観客に,会釈やサムアップで応える余裕がある.
まばらに散らばっているものの,お年寄りや親子が道に並んでエールを送ってくれる.
コンニチハ,サモリン,日本人のテッペルです.
目安の最初の街に到着.
ここが10km地点.
固形物の補給,カロリーメイトを頬張る.
窒息しかける.
ドリンクで流し込む.
ある程度予想はしていたが,誰も抜けない.
その代わりに,次々とTTバイクに抜かれる.
調子が悪い訳ではないが,英,米,伊,仏などが続々と追い越しては消えていく.
でも,今のところその中に同カテゴリーはいない.
20km地点の街に到着.
アミノバイタルジェルを注入.
エイドも設置してあるが,止まらず通り過ぎる.
補給食のゴミだけ投げ渡す.
街を出たあたりで黒いトライスーツに抜かれる.
ロイドだ.
やっぱり来た.
まあええわ.
ランで巻き返してやるわ.
それにしても抜かれ続けるのは嫌になる.
首筋から背中にかけて描かれた日の丸を見せつけて追い越してやりたい.
そう思いながらも,これまでのテッペルのレースを思い出す.
バイクまでは先行しても,ランで29平野にぶち抜かれる記憶が蘇る.
焦らない.
今日頑張るのはラン.
30km地点.
少し前からエリートも折り返して帰ってきている.
苦しい顔をしている人が多い.
いくらエリート選手でもキツイものはキツイんだ.
エイジの選手トップ集団も帰ってくる.
ロイドはどのあたりにいるんだ?
見つからない.
見落とした?
他の男子20-24歳の選手も見つけられず,不安が募る.
それでも大丈夫,焦らない.
今日頑張るのはラン.
40km地点に到着.
40kmのタイムは約1時間5分.
ここまでのトータルは予想より5分早い.
いいぞ!!
180度ターンで折り返す.
さあどうだ,風はどっちなんだい!?
選ばれたのは向かい風でした.
それもまあまあな強風.
イメージは冬のグスピ周回のバックストレート.
カロリーメイト2つ目を食べて気合を入れなおす.
窒息しかける.
ドリンクで流し込む.
ここからが長い闘い.
自分に言い聞かすようにペダリングを続ける.
「ファイトォ~!!」
日本人の声.
同時スタートの三品さんがすれ違い際に渇を入れてくれた.
少し漕ぐと青野社長も声をかけてくれた.
50km地点.
明らかに踏みすぎてる.
キツイ.
それでも踏まないと前に進まない.
気晴らしに対向から来る後続の選手の中から同じカテゴリーの選手を探す.
いない.
もしかして,ロイドが3位で,テッペルは年代別最下位?
見落としているだけだと,自分に言い聞かせて漕ぎ続ける.
「Water~!!」
エイドのスタッフが叫ぶ.
漕ぎながら過ぎ去り際にボトルを受け取り,半分ほど飲んだ後,他のスタッフに投げ渡す.
60km地点.
漕いでいる時間・感覚としては,もう80kmを終えた感じ.
間違いなく5月の長良川ミドルの80kmよりキツイ.
頑張るのはランだけど,この後この足で18km走れんのか?
心が折れかかっていたその時,ありえない出来事が.
黒いトライスーツ.
No.105.
ロイドにまた抜かれた.
あれ,なんで?
前にいたはずじゃ….
ペナルティBOXか?
いや,さっき確認したけど誰もいなかった.
エイドで用でも足してたんだろうか….
ロイドはあっという間に過ぎ去っていった.
それでも何はともあれ,一筋の光が射すようにテッペルの折れかかった心が持ち直した!
70km地点.
腰も痛い.
改めて腰回りが弱いことを文字通り痛感.
それでもバイクフィニッシュまであと少し.
ごめんね,きつ過ぎて歓声にも応えられない.
これ,この後走れんのかな?
また,やってしまったかも….
大きく左に曲がる.
序盤のテクニカルな街中に戻ってくる.
帰ってこれた.
まさかここまでバイクで苦戦するとは.
復路のバイクタイムは1時間15分程度.
往路より10分ほど遅い.
仕方ない,我ながらよく頑張った.
飛び降りして足の状態が分かる.
かなり悪い.
もも前,ハムストリングス,ふくらはぎが全て緊張状態.
バイクをラックにかけ,「バイク→ラン」バッグをピックアップし,再度更衣テントへ.
ベンチがあったので,座って靴を履く.
なんとか攣らずに靴を履く.
走り出す.
「今4位!まだ表彰台狙えるよ!」
青野夫人が叫ぶ.
やっぱりそうなのか.
もう少しバイク往路で飛ばしておけば….
いや,まだ終わってない!
それにレース中の後悔はご法度.
最後までプッシュする.
絶対に折らない.
思ったよりも足は回る.
でも,いつ攣ってもおかしくない.
最初のエイドで水を2つ取り,飲水&水浴び.
ジェルも配布していたため,2つ取り,1つは注入,1つはトライスーツに挟んで走る.
選手とすれ違う区間で対向選手を見ながら走る.
20-24歳の選手を探す.
いない.
それでも走る.
「さあ,こっからだぁ!!!」
奥の折り返しを回って少し走ると,またもすれ違い際に三品さんの気合注入.
それも今度は強烈なハイタッチ付きで!!
三品さんのおかげで完全にスイッチが入った.
やってやる!!
持っていたジェルを注入する.
足が回復することを願って.
馬が走る用の芝生区間を走る.
足にくるけど,トレラン好きなテッペルにとっては慣れたもの.
思い出すのは,4年前のカーフマン九州ステージ.
あの時もトレランみたいなコースだった.
あの時よりだいぶ走れるようになった.
2周/4周を終える.
きた,きたぞ.
ジェルが効いてきたのか,足が少し軽くなった!
気分も上がり,さらにプッシュし続ける.
ロイドは未だに見えないけど!
エイドでは必ず水を取りながら足を一歩一歩出していく.
青野社長も山内さんも村上教授もランに入ったのを確認.
全員,大和魂で走り抜けていく.
川沿い区間に入るちょっとした坂を登る.
すれ違いに岸の上を走る選手がこっちを見ている.
黒いトライスーツ.
いた!!!!
ロイドだ!!!!
見えたのは一瞬.
折り返しの距離にして2kmほど.
時間にして約10分か.
残り8km弱.
ああ,何か起これ!!
そう思いながら腕を振る.
気温は恐らく20度台前半.
西条の夏に比べれば最高のコンディション.
ここまで10km強走っているけど,我ながら良く走れている.
水とジェルを取り続けて,足が最後まで持ってくれることを念じる.
何個ジェルを補給したんだろう.
それでもラスト1周に差し掛かると崖がきた.
モーレツにキツイ.
さっきロイドとすれ違った坂道.
さあ,差はどうなった!?
変わらない.
悔しいけど,ロイドも走れてる.
タレてない.
あと3km.
やれることをやる.
ペナルティがあるかもしれない.
トラブルが起こるかもしれない.
残り1km.
ゴールがある競技場が見えてきた.
それでも最後までロイドの背中は見えない.
最後はもう一段ギアを上げて終わる.
そう思い足に力を入れた瞬間,もも前が痙攣.
数秒止まり,再度スタートするも,今度は逆足を攣る.
あと少しなのに走ったり止まったり.
周回違いの英夫人と抜きつ抜かれつ,謎のデッドヒート.
テッペル,何やってんだ.
残り200m.
青野夫人に事前に預けておいた,皆の思いが入った日の丸を受け取る.
ブルーカーペットを進む.
旗に腕を通して背負う.
脇には観客が手を差し出してくれている.
ハイタッチ.
スタンドにも手を振る.
チアガールの小さな女の子たちに祝福される.
フィニッシュ!
異国の地,スロバキア・サモリンの空に一羽のカモメが舞った.
短いようで長かった.
永遠のようであっという間だった.
そんなレースだった.
チルアウトエリアにはロイドがいた.
君のバイク速いなあ,的な声をかけた.
いやお前もようやったよ,頑張ったよ,的なことを言ってくれた.
聞くとロイドは年代別3位.
彼の先輩のニュージーランド人が2位.
ハンガリー人が圧倒的な差で年代別のトップだった.
それはすれ違わないわけだ.
3人で一緒に写真を撮った.
また会えるか分からないけど,一生忘れられない1枚.
チルアウトエリアでは食べ物飲み物が無料で配布されていた.
500mLの水を一気に飲み干し,サンドイッチやカップケーキ,バナナを平らげた.
レッドブルも配布していたから,2本頂いた.
1日2本飲んだのは初めて.
身体に良くなさそうだけど,今日ぐらいは大丈夫だろう.
次々と日本選手団の面々がチルアウトエリアに入ってきた.
表彰台に乗れなかったことを伝えると,残念がるも労いの言葉をかけていただいた.
身体中あちこちが痛い.
その分,やり切った感も過去一だ.
間違いなくトライアスロン人生で最高のレースだった.
そのレースを世界選手権で披露できて良かった.
何か大きな目標を立ててそれを完遂できたのは,なんだか久々な感じがした.
世界選手権への挑戦が終わった.
お疲れ,テッペル.
走り切ったぞ,テッペル.
次なる挑戦は9.11インカレ観音寺決戦.
切り替えて最後の栄光を掴み取れ!
Fin…
長い間,ご愛読いただきありがとうございました!
竹村先生の次回作にご期待ください.
※尚,休載中の「金曜日のガルズガルズ」は次回作の作成が決定しました.
投稿時期は未定です.
Comments