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「02より愛をこめて」


ズンズンチャララッバッラララ~(何の音楽だ?笑)

 

こんにちは!

卒業式中、中に着ていたトライスーツで股擦れを起こしてしまった02吉村峻です。お風呂で痛くて堪りません。Gulls内卒業式では正装-スーツ-を着用するため、これは備えればならぬと思ったのも早とちり、努力の方向性を完全に間違えてしまいました。ちなみに痛くて式後脱いでまた着ました。

 

そんなことはどうでもいいと思うので、本題に入ります。

卒業ブログで書く内容は、前から決めていました。今年は幹部引退ブログを書く機会がなかったので(幹部終わった直後書かせなくて正解です笑)、その内容も含めて書いていこうと思います。

まずは僕と、そして02の話から少し。

 

2001年、滋賀県によしお爆誕

 

(中略)

 

僕たち02が大学に入学した年、2020年(令和2年)は、不吉な年でした。コロ助ウイルスが猛威を振るい出し、入学式やオリエンテーションが3日前くらいに中止になりました(ライブ配信された入学式の視聴者は13名だったことを鮮明に覚えています)。授業はすべてオンライン化し、朝から晩まで本当の一人暮らしを強いられました。当時は高校のときにやっていた400mを続けたいなと思い、陸上部に入ろうとしていました(400をやっていた理由はラスト100mの乳酸が溜まりきったきつい感触がたまらなく好きだったため。長距離をやれ。)。が、部活もサークルも一切が活動停止、仕方なくスーツが似合う男を目指し、家で筋トレ、黒瀬川沿いのジョギングに励みました。ずっとこんなことをしていたように思います。これを読んでいる後輩の皆さんも高校生活や受験で大きく受難されたことと思います。

 

そんな環境で、トライアスロンというかロードバイクすら知らなかった僕は、コロナ禍で突如発足した学部の意識高い同期の集団に運よくもみくちゃにされ紛れこみ、どんぶらこっこと遠流流されたのは大崎下島、30大誠さんと出会ったことからすべてが始まりました。当時キロ5で3km走れたことに自信満々だった僕に、大誠さんはさまざまな人間越え行動(自走で島まで移動、4時自然起床10㎞ランキロ4、真夏の山をボトル1本で走って登る等)を背中で魅せていただき、僕の常識は吹き飛びました。人類はここまでできるのかと驚くと同時に、こんな風になったら世界はどんなふうに見えるんだろう、と強く憧れたことを覚えています(今でも目標の人です)。

 

ずっと頭の片隅にトライアスロンがある中、迷いに迷い、3月に初めて見学に行きました。先輩が持っていた車で、運転手の先輩、よく発言がスルーされる先輩、温厚でとてもやさしいが笑い方が特徴的な先輩の4人で移動し、噂話が大好きな運転手の先輩から、某工学部1類メガネ先輩の好きな女性のタイプ(黒髪ポ以下略)や古今東西ガルズの恋愛事情(●さんと●ちゃんは実は付き合ってる、今はどうのこうの、等)を吹き込まれ、脳内は大混乱。この部活でやっていけるかとても不安になったことを覚えています。練習には今にも脱げそうな中学のダボダボ水着(のちに2年の冬まで使うことになる♨)で参加し、同期の無口メガネ、ガタイ良いメガネと一緒のコースで泳ぎ、二人の波に1Lほど水を飲み、黒髪ポニ以下略が好きらしいメガネ先輩の陸に打ち上げられた魚を見るような渋い顔がまたしても強烈に記憶に残りました。昔水泳をやっていた(2年以下だが…)と言ったときの期待の表情とのギャップでその日はひどく落ち込み、1500泳ぐとか人間ちゃう、50mが限界やのにこんなん絶対無理や、と絶望したことを覚えています。

 

ですが、難しそうなことほどできるようになりたくなりました。その後はトライアスロン部に入ることがモチベーションになり、御薗宇の家賃1万円ハウス(のちに同期から廃墟と言われる)から大学までほぼ毎日ジョグをして、気づけばたいせいさんと同じメーカーのロードバイクを購入し、キロ4:30くらいで20km走れるようになったところで腸脛靭帯を痛めました(というかこの練習で痛めた😢)。ロードバイクにも乗れなくなり、入部をやめようかと思ったタイミングが、4月。怪我は続いていましたが、当時やっていた時給半額セールを年中開催中♪な💩すぎるバイトをクビになったことで時間ができ、入部を決意しました。当時通っていた整骨院の先生にウキウキで報告すると、「骨格的にボディビルダーの方が向いている」と笑われ、僕のメンタルは木綿豆腐化。Gullsの見学に行ったことがある自信で店出しに行きましたが、全く覚えられておらず自信喪失、さらに店出しで遭遇したダメージジーンズを履いたチャラそうなイケイケシティーボーイと背の高くガタイが良すぎる半袖メガネに(え、絶対強いやん…)と本気でビビり、いよいよメンタルは絹ごし豆腐になりました。結局、今しかないとほぼ脳死で決断し、西岡さんと握手。イケイケダメージジーンズと体格が良すぎるメガネ、ふくらはぎの大きいムキムキイケメン(以上当時のイメージ、大いに偏見含む)の3人と一緒に写真を撮りました。4月26日のことです。

 

入部した02は僕が最後で6人。最も早く入部した宗生で10月入部。最も遅く入部した僕で2年4月。6か月以上のブランクがある学年でした。右も左もわからない中、すぐにたった6人で幹部が始まり(途中から5…4…3、人…?)、各地で争いが起き、病が流行り、血の雨が降り、競技、幹部を頑張ってもなかなか報われず、というか努力の方向性を間違え、ひとり気を病んだこともありました。幹部中。先輩、後輩にはたくさんのご迷惑をおかけしました。特に、30めいさん、あやみさん、01ほのかさん、みなみさん、みわさんには本当に頭が上がりません。引退された後もマネージャーがいない02代のために部活に来てくださったことには本当に感謝しております。

 

楽しかった思い出よりも苦しかった思い出の方がかなり多いですが、今ではいい経験をさせて貰ったな~、と笑えるくらいにはなりました。生理学的指標を変に使ってメニューを作ったことも、全体会資料にポエム的なコーナーを作ったことも、マネさんとパートリーダーのグループに激病みメンヘラ長文ラインを送ったことも(あたたた)など、今ではいい思い出です(後半はかなり酸味高めですが…)。おかけしたご迷惑やいただいた御恩は、必ずガルズの後輩たちに良い形で還元しようと思っています。

 

さて、ここからは、僕の3年間の失敗、経験から後輩の皆に伝えたいことを書いていきます。

僕が在学中で残せた好成績はほとんどなく、奇跡的に表彰台に乗れた2大会はドローカルなデュアスロンとドローカルなハーフくらいです。

 

いくつかトライアスロンの大会には出ましたが、目立った成績もなく、一番結果を残したかったインカレでは記録すら残せず。この3年間は何だったのか、とインカレ後は特に葛藤しました。何がいけなかったのか?

 

ここで、あるアニメのセリフを紹介します。

「お前には壊した先のビジョンがない。ただ壊すだけならわがままな子供と同じだ。こそこそ裏でやってないで表に出ろ。」 馬神 弾 

(バトルスピリッツブレイヴ 第47話)

 

急にどうしたという話ですが、このセリフが僕には特に響きました。

ちなみに日曜の朝7時にやっていたアニメの主人公の台詞です。重すぎやろ(バトスピ見てた方、好きな方いればまた話しましょう笑)。

 

僕に響いたのは、「ビジョン」という言葉です。

 

僕は

「インカレ完走!」

「○○で何位!」

「来年はFTP250」

「来年こそは3000m、9:30」

「来週から週1で筋トレ、コアトレを…」

「今季はベーストレーニングを…」

という目標は今まで本当にたくさん立ててきました。

 

しかし、ジョーフリール先生の言葉をお借りするなら、これらは所詮願望で、一切具体性のない、漠然としたただの夢でした、

 

特にインカレや昨シーズンなどは、「具体的にどうしたいか」が欠けていたように思います。今振り返ってみれば、インカレに向けた練習を積む中、僕が思っていたのは、「完走!」のみ。敢えて挙げるなら、ビジョンは「本当にきつい中死ぬ気で頑張ってついていくイメージ」でした。蓋を開けてみれば本番はまんまその通り、上がりきった心拍の中で必死に集団に食らいつき、結局集団の最後尾で落車するという何ともみっともない結末でした。これが「バイクで上手に自分や集団をコントロールし、きつい中冷静に対処する、自らの立ち回りを把握しながら…」というビジョンで、1年間かそこら練習を詰めていたら結果は変わっていたかもしれません。

 

ビジョンは現実になります。

 

つまり弾さんの台詞を言い換えるのであれば

明確なビジョンを持ち、行動につなげなければ、そしてただ願望を持つだけでは何も変わらない。

ということになります。

 

もちろん、夢や願望を持つことは本当に良いことです。否定するつもりは全くありません。

只、願望を願望で終わらせてしまった自分は、何も結果を残せませんでした。

 

夢を持ち、はるか先の夢を現実に落とし込み、それを「今」に引っ張って来られるか。そして今行動ができるか。これが大事なんでしょうが、当時の僕には難しすぎました。

 

そんなことにやっと気付けたのは4年のインカレ後。どうやら遅すぎたようです。

そんなことをやってきた自分が嫌になり、インカレ後にはとにかく練習してきました。

卒論執筆中も、ほとんどの練習に参加しました。

一回一回の練習に、すべてをかける気でやってきました。よく調べ、限られた時間でいかに練習効果を最大化させられるか、ということを考えました。

インカレ前後からは、全体練で一度も途中抜けはしませんでした。

 

どんなに安静時心拍数が高い日でも、寝不足の日でも、筋肉痛が残っていても、できる限りの目標を練習ごとに定め、目標とする自分の姿を想像しながら挑戦してきました。

 

その意識を持って練習を繰り返しているうちに、

 

スイム400mでは1年で19秒記録が伸び(入部当初マイナス1:30)、 2月には、過去二回挫折した、尭さんや玉麻さんが成し遂げられていた外乗り月1000kmを達成し、ハーフでは80分を切れるようになるなど、身体が思うように動いてくれるようになりました。

 

そして気付けば、もう卒業を迎えてしまいました。

 

失敗ばかり繰り返してきた僕から伝えられることは、これだけです。

 

やるなら今です。

 

夢を持った瞬間から、解像度はどんどん落ちていきます。

だからこそ、夢の解像度を上げ、今すぐに行動しましょう。

 

新しいことはどんどん始めて、そして失敗して、継続を覚えていってください。

 

始めの第一歩目は、ゴールまでの総距離の半分の距離がある、といった人がいますが、その通りだと思います。

 

結果を出すにはある程度の継続が必要ですが、まずは始めてみないと話になりません。だからまずは、すぐにやってみましょう。周りも巻き込めたら最高ですが、今のガルズにはそんな雰囲気があると思います。

 

これからのガルズを作っていく皆には、夢を夢のままで終わらせてしまった、そして夢を見切れなかった後悔をしてほしくありません。どうせやるなら、全力でやりましょう。結果がついてくるとは限らないのが厳しい所ですが、全力で何かに取り組むというのは必ず自分、周囲に良い影響をもたらしてくれます。

 

これを読んでいる皆には、やりたいことがあるはずです。是非、今、やりましょう。無限に転がっているチャンスを無駄にしないように、時間を大事にしてください。そして、失敗から成功を掴んでいってください。

 

時間は有限です。

皆には、僕たち02が本気で欲しかった1年が、それ以上の時間が、チャンスがあります。

短い大学生活、後悔の少ないように、良い後悔ができるように、過ごしてください。

 

 

やや固い話になってしまいました。卒業ブログで書きたかったことは以上で、これからは幹部終わったぜガッハッハブログ(当時のメンタルは決してそんなものではない)に書きたかったことを書いていきます。広大進学組のくせに長くてすみません。書きたいことがあれば書けばいいと言ってくださったブログパートの橋本さんのお言葉に従い書かせていただきます。

 

 

当初6人で始まった02幹部は、紆余曲折あり、02だけでは機能しなくなってしまいました。

いろいろとつらいことがあり、何度も「もうこの辺でもうやめておくか」と頭をよぎった中、僕がここまで頑張ってこられたのは、信頼できるキャプテンをはじめとする同期だけでなく、03の皆のお陰でもあります。

03の皆のことは、入部当初からとくにライバル視していました。入部時期が一緒だったのもありますが、先輩として負けたくない!という気持ちが強かったように思います。

絶対に勝てると高を括った3000mTTでは草野と藤崎に千切られ、「ワクチン翌日なんで」と言い訳し不貞腐れ(本当はおととい)。また、前々日の朝6時から一人で1500TTする某草の者に恐怖を覚えながら挑んだ初めての1500mTTでは、下から数えたほうが早いという成績。完泳して褒めてもらえるかと思いきや全く褒められず絶望。ロードバイク歴が長いことで自信満々で臨んだ(2か月程度。。。)仁賀ダムTTはKTMを踏み倒すマッチョメン奥田、踏み足細身Tシャツ黒キャノン岡田に第一区間に着く前に抜かれ、結果はチェーン落ちした銀トレック樋口にも負け(よくあれで登ったな笑)散々。褒められ喜ぶ03たちをよそに、シーラントが抜けて空気がなかった、と泣きそうになりながら一人ぶつぶつ言い訳(本当は抜けていなかった、そして誰も聞いていなかった)。先輩から突っ込まれると思っていた新入生ブログは特にいい評判がなく、文章力のなさと経験の差に失望。特に03草野の韻踏みまくり新入生ブログは面白すぎて右の眉毛がほとんど抜けて落ちてしまいました。嘘です。

 

惨敗録を挙げるときりがありませんが、1年多くの経験を積むことができる03に負けるたびに、悔しさと焦り、もう一年あればという思いが込み上げてきたことを覚えています。皆が中高で積んできた持久系競技の時間や、圧倒的な才能に諦めそうになったこともあります。でも、コロナがなければ、僕は陸上部に入り、できもしない400mを続けていただろうと思い、また、僕が中学校で美術部じゃなかったら、高校で陸上短距離をやっていなかったら、ここにはたどり着けなかったんだろうと思い直し、自分を遥かに超える努力をし、才能を持つ03の皆の先輩でありたくて、不貞腐れながらも一歩ずつ進んできました。

 

幹部では、本当に03の皆に多く救われました。

まずスイムパートを1年間勤めてくれた樋口、廣本。

ただでさえ激務なスイムパートに工学部の勉強もしながら、よく文句も言わずにやり遂げてくれました。常人ならできないようなことです。本当に誇ってください。

次にサブランパートを務めてくれた岡田、三枝。

キャプテン兼ランパートの宗生を支えてくれてありがとう。本人は意見を出してくれることに本当に喜んでいて、肩の荷が下りた表情をしていました。

三枝はほとんど1年間、会計の仕事をやってくれて本当に助かりました。ケガで競技ができない中、誰かのために仕事をし、動けるというのは才能だと思います。

サブバイクパートを務めてくれた草野、藤崎、奥田。

あまり仕事を振ることができなかったけど、メニュー、下見、意見など何度も助けてもらいました。

藤崎は本当に縁の下の力持ちの役回りを務めてくれました。へなちょこな僕の後継としてガルズの副将を立て直してくれました。

萌ちゃんにはマネージャーが一人だった時から、前後半の計測等いろいろお世話になりました。

玄武はうまく学年、部全体に気を回してまとめてくれていたことを覚えています。

途中入部の浜野は、持ち前の破天荒さで部の雰囲気を明るくしてくれました。

 

僕たち02が作った「挑戦し続けるチーム」は、皆が支えてくれたおかげで成り立ちました。

不甲斐なかった僕たちを支えてくれて本当にありがとう。

そして01さん以上の先輩方。

僕たち02の、「団体6位入賞」の夢を叶えてくださって本当にありがとうございました。幹部中はさまざまな面で支えてくださいました。練習に来てくださってありがとうございます。

競技面でも引っ張ってくださってありがとうございました。僕がこうして幹部引退後も競技を続けているのは、僕たちの目の前で、たった3人で団体6位を獲ってくださった先輩方への憧れが大きいです。

この場をお借りして改めて皆さんにお礼を言わせてください。本当にお世話になりました。

 

 

やや固い話になってしまいました。

引退ブログではありません💦

 

長々と書いてしまいましたが、とにかく、皆の努力なら、僕レベルの選手は余裕だと思うので、早いとこ抜いて行ってください。簡単には抜かさせないけど。

 

「きみの努力次第で、ガルズは良くも悪くもなります。」と言ってくださった、僕が目指すべき先輩がいます。

 

そして、かつて院生としてガルズを導いてくださった皆さんのような存在に、自分もなれるように頑張ります。昔、某同期に「02は凡人ばっかりだからね~」と言われたことがありますが(お前が言うんかいという話だが)、「挑戦し続けるチーム」を作らせていただいたチームの一人として、これまで以上に、努力で才能を超えていけるような、挑戦し続ける姿を見せていきたいなと思います。老害になりかけていたら指摘してください。

 

ひとまず、運動生理学チームの一員としてガルズの競技力向上に貢献していきます。

 

まずは学部生としての3年間、ありがとうございました。

あと2年間、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

ここからは、ガルズ3年間の思い出をクイズ形式で出題しようと思います。全問正解できたあなたは(いるのか?笑)、僕のしゃちはたを差し上げます(絶対にいらない)。

 

Q1。渡良瀬遠征にて、02、03の初レース(渡良瀬スプリント)前日のインカレに刺激をもらった宗生はブログに何と書いたでしょう?

 

ヒント:○○レースに対する○○が上がりました。

  

 

 

A、自分レースに対するモチベショーンが上がりました

 

初めて見たときは笑い転げました。どうやったらそうなるんや。

彼はこの件で1か月ほどいじられることになります。

気になる方はガルズのHPへどうぞ(笑)

 

 

 

 

Q2。幹部が始動し気合が入っているよしお君。寒い時期のブリックのけが注意のため、メニューに一言を加えるも誤字をしました。なんと誤字ったでしょう?

 

ヒント:「怪我」で誤字りました。

  

 

 

A。毛ガニは気を付けてください

 

毛ガニ。おいしそうですね。

草野君、よしおさん誤字録はくれぐれも漏出させないように。

 

 

 

 

Q3。初飲み会での例の恒例行事。追い込まれに追い込まれたよしおみりんコンビは何をしたでしょう?

 

ヒント:なし

 

 

 

A。コント3連発

 

無事氷河期が到来。西条の冷え込みはこれが原因らしい。玄武君、草野君、もちろん動画は削除してくれたよね(圧)

哲平さん、面白かったなら笑ってください。ちなみに宗生君も強めに滑っていたのでセーフです(02としては全滅だ‼)。

 

 

 

 

Q4。のちにマラソン大会と呼ばれる2022インカレ予選前にサングラスを新調したガルズの02の問題革命児、無しょk健康保険係副島浩平。宗生からなんと呼ばれていたれたでしょう。

 

ヒント:写真に注目

 

 

 

A。チンピラ

 

インスタ等の写真を見たらわかりますがまさしくです。なんで黄色にしたん??

ちなみにアマゾンで買って1か月で壊れたそうなのでサングラスはいいものを買いましょう。

 

 

 

 

Q5。04初遠征の赤穂遠征。伝えなければいけないことがあった01果歩さんがどこにいるかわからず、焦る宗生は果歩さんのことをなんと言ったでしょう?

 

ヒント:そんな噛み方する?

 

 

 

A。キャオさん

 

そうはならんやろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です!!全問正解できたかな!!

ではまたどこかで!!! 

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