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ガルズ推し





こんにちは。

高知県立大学4回生の藤井嵩大と申します。前の29平野のブログに出てきたショートカット大臣は私のことです(漢字がめちゃくちゃ間違ってますが)。02の方は初めましてでしょうか、もしくは29橋本のインスタにちょくちょく登場しているのでご存じの方もいるかもしれません。OBや関係者の方々には、急に学外の人間がブログを書いていて驚かせてしまった可能性もあり、非常に恐縮です。どうか最後まで読んでいただけると幸いです。


僕は29の代と同級生に当たり、3月で大学を卒業し就職します。それにあたり、在学中にとてもお世話になったガルズに恩返しというか感謝の気持ちを伝えたく、ブログを書かせていただくことになりました。おそらく学外の人間がブログを書くことは初めてだと思いますが、それを認めてくださった管理人の方には本当に感謝の気持ちしかありません。どうか最後までよろしくお願いします。


何について書こうかと考えていたのですが、ガルズの方々にはこれまであまり自身のことについて言うことがあまりなかった(高知からたまに来る人、くらいのイメージでしょうか)ので自己紹介とこれまでの人生の振り返り、そしてガルズとの思い出を書いていこうかなと思います。


1998年生まれ、兵庫県出身です。29丸田の隣の市に住んでました(実家同士は15キロくらいしか離れていなかったみたいです)。トライアスロンは小1(2005年)の時に始め、初めてレースに出たのは小2でした。歴でいうと今年で16年目になります。長さだけはそこらの人には負けない自信があります。始めたきっかけは詳しくは覚えていませんが、親が始めたから一緒に、と説明するようにしています(曖昧ですみません)。


小5から高校卒業までは兵庫のクラブチームで活動していました。オリンピック代表候補の古谷純平くんはチームの先輩に当たり、よく一緒に練習していました。トライアスロンと並行して中学高校は陸上部に所属し、忙しいながらも充実した日々を送れていたと思います(部活の後に移動してトライアスロンの練習とか、陸上の記録会の次の日に東京の大会に出るなんてこともありました)。


高校卒業後はトライアスロン部のある大学に行こうと思っていたのですが、受験に失敗し、なんだかんだあり高知に流れ着きました。「まあトライアスロンは一人でもできるしな…」なんて思って高知に来たのを覚えています。今振り返ると非常に傲慢で身の程知らずな奴です。これから痛い目を見ることになります。


1年生の前半の頃はまだ頑張ることができていました。高校生まではスプリントの距離しかやったことがありませんでしたが、スタンダードの距離にもなんとか対応できていたように思います。そんなわけで初めてのインカレ予選を迎えることになりました。結果は優勝でした。2位の選手に6分くらい差をつけていたので、応援に来ていた29の人たちは同級生にこんな奴がいるのかと絶望していたみたいです。


しかし、結果的にはこの高松大会が大学でのベストレースとなってしまいました。


予選を突破、そのあとの目標は必然的にインカレ本戦となるわけですが、当時の僕はインカレに対してそれほど高くモチベーションを持つことができませんでした。ガルズのようなチームではインカレが最大目標になるのでしょうが、自分自身にとっては数ある大会の中の一つにすぎませんでした。さらに、練習は一人でやっていましたし、大会に出る時も一人で準備や移動を行っていました。つまるところ、「別にやらなくても誰にも何も言われない」状況になっていました。簡単に言うと引きこもりのような状況でした。


本当に強い選手なら一人でも強くなって結果を残すことができるのだと思います。しかし、僕は自分が思っていたより弱い選手であったと自覚させられました。ろくに練習もできず迎えた本戦は、完走はしたものの、予選の結果からすると大惨敗と呼べるものでした。この結果で翌年の中四国の枠が削られたことは非常に申し訳なく思います。


インカレ後からは自分が練習に取り組める仕組みを作ったり、高知のチームに入って練習したりするなど、少しずつトライアスロンへの取り組みを改善していきました。この時点ではまだガルズとの接点はありません。2年生の終わり頃が初めての接点です。


2年生では2回目のインカレ予選に出場する予定でしたが、当時の規定で日本選手権の四国ブロック代表は学連を除く県の登録選手であることが条件となりました。インカレを諦めた僕は学連から高知県へと登録の変更となりインカレに出ることはできませんでした。この変更の際には中四国代表の方には非常にご迷惑をお掛けしました。申し訳ございませんでした。


この年に日本選手権と国体に初めて出場しました。国体では完走できましたが、日本選手権ではバイクであっという間にLAPされてあえなくリタイアとなりました。その後出場した宮崎のレース後、顔見知りだった26大上さんに挨拶に行ったらそばにいた29橋本に「誰やこいつ」みたいな顔されて怖かったです。この半年後めちゃくちゃ仲良くなります。


ここまで長々と振り返ってきましたが、ここでようやく本格的にガルズの登場となります。2年生の終わり頃、入っていた中四国のライングループに中四国スイム合宿の案内が来て参加することになりました。練習を通じて多くの選手と関わりをもったり、練習以外でもサッカーをしたりご飯に行ったりしてとても印象に残る合宿でした。合宿の最後の方にはガルズの方からまた広大においでといってもらい、とても嬉しかったことを覚えています。


2019年5月、元号が令和になった日に初めて広大に行きました。そこでGWの強化練習に参加させてもらい、そこから何度も行かせてもらいました。初めて泊まらせてもらったのが29橋本の家だったので、西条に行くたびに泊まらせてもらいました。僕がよく橋本に絡みに行くので迷惑だったかもしれませんがそれはそれでいい思い出です。


そこからは月1回程度のペースで西条に通うようになりました。単純に中四国の学生と関わりを持つことができて嬉しかったというのもありますし、ガルズというチームが僕にとって非常に居心地が良かったのもここまで通った理由の一つです。また、一人では難しかったモチベーションの維持にも、言葉を選ばなければ、利用させてもらっていました。このような僕を受け入れてくれたガルズには本当に感謝の気持ちしかありません。


ある程度練習を積めて、自信があった中でインカレ予選を迎えました。約半年お世話になった29幹部とインカレに出たいという強い思いでレースに臨みました。スイムは予定通り、バイクも中盤までは順調でしたが、途中から体がうまく動かなくなり、ランでついに立ち止まり、リタイアしてしまいました。自信があっただけにかなり落ち込みましたが、日本選手権の出場権は得ていたのでそちらを目標に切り替えると同時に、インカレではガルズのサポートをすると考え、一緒に行動することを認めてもらいました。


迎えたインカレ前日、ミーティングのあとで29から僕にプレゼントがあるということで何だろうと思っていたら、ガルポロをいただきました。それまでなんとなく自分でガルズに対して壁を感じていましたが、それがなくなったような気がしてとても感動しました。翌日観に来ていた親に見せたら「広大に入ったみたい!」と喜んでいました。我ながら親孝行な息子です(違)。


レース当日、詳細はよくご存じだと思うので省きますが、自分の大学4年間の中で最も印象に残ったレースを訊かれたらこのインカレと答えると思います。自分が出たレースを含めても、です。トライアスロンで初めて感動して涙を流した気がします。


次は自分の番、ではないですがそこから国体と日本選手権まではこれまでで一番集中して練習に取り組めたと思います。国体ではガルズの応援もあり、満足はいかないにしても納得のいくレースをすることができました。翌週の日本選手権の前にはガルズからの応援動画をいただきました。この動画とガルポロは本当に大切な宝物になりました。結果は、完走はできませんでしたが、バイクの6周目まで粘れたことは大きな収穫でした。


ここから次のレースは次年の秋まで飛びます。モチベーションを保つことが難しい性格なので、レースがなくなれば活動を行う意義を失います。トライアスロンはもういいかな…と思った時期も少しはありました。しかし、それでもつなぎ留めることができたのはガルズの存在が大きいです。ガルズの誰かが頑張っている。そうやって自分に言い聞かせることで、トライアスロンから離れずに済んだと思っています。誰かが頑張っていることで自分が頑張る理由になることがあります。チームの利点です。もちろん、個人では起こらないチームメイトとの葛藤もあると思いますが、それ以上にチームであることは大きいと思っています。


読んでいる現役生の中にも同じように目標を見失いかけた人がいるかもしれません。しかし、それでもチームとしての活動は絶やさなかった、と聞いています。30幹部の方たちは本当に大変だったと思いますが、苦労した分、どこかで報われるといいなと思います。上から目線ですみません。


インカレには頑張っている人に出てほしかったので出場の選択肢は取りませんでした。結局1回生のインカレが最初で最後となりました。このような例は後にも先にも僕くらいのもんでしょう。


インカレ前、29竹村からインカレ選手(29平野)への応援動画を撮ってくれとのお願いが来ました。普通じゃ面白くないかなと思い、ちょっと趣向を変えたもの(完全に内輪ネタ)を出したら、意外と好評でした。後から見返してみても本当に意味が分からないのですが、本人は喜んでくれたので良かったです。というより、本人だけがみるものだと思っていたので、それがOBOGさんの耳目にも触れてしまい恐縮の極みです。


インカレには出ませんでしたが、29橋本と愛大の吉田とでチームTTに出場しました。初めてでしたがとても楽しかったです。これが自身の学生引退レースとなりました。インカレは特に30の選手の気迫が伝わる素晴らしいレースでした。01の選手も実力を見せ、これからが非常に楽しみになるレースでした。


先日、29橋本と29平野とで四国一周サイクリングをしてきました。レポートに関しては橋本のインスタに詳しくあるのでそちらをご覧いただければと思います。大きなトラブルもなく、本当に楽しく走りきることができました。これが学生のうちで最後のガルズとの思い出です。



ここまで長くなりましたがこれまでを振り返ってきました。大学後半はガルズとの関わりがとても大きなものでした。ガルズと出会っていなければ、もしかしたらトライアスロンをやめていたかもしれません。そう考えるととても大切な出会いができたと思います。


ここで、高校の陸上部の顧問の先生の言葉を紹介します。

「自分で考えて自分のためにする練習は、人にやらされる練習より何倍も身につく」

です。ガルズでは各PLが一生懸命考えたメニューがあり、それをやっていると思いますが、ただメニューをこなしているだけになっていないでしょうか。もちろん、メニューを提示されて体を動かしているだけでもトレーニングになりますし、ある程度の成長はするでしょう。しかし、そのメニューにどのような意図があり何を目的としているのかを理解してから取り組むのでは結果は全く違ったものになってきます。ガルズで名前を挙げると30中山や01玉麻は特にこれができているように思います(もちろん、他にもいます)。


近頃の陸上やマラソンの記録ラッシュはこの「自分で考えるようになった」点が一つの要因であるように思います。やらされる練習ではなく、自発的に練習を行う機会が増えたことが記録を生み出しています。ガルズに置き換えると全体練習では提示されたメニューの意図を理解して行い、自主練習では自分に必要な練習を考えて行っていくことが重要ではないかと思います。僕も、たまに忘れそうになるのですが頑張って思い出して練習をやっていきます。


そういえば僕があげたヘルメットはしっかり使ってもらってるようで嬉しいです。四国一周中に橋本になんでそんなにガルズと関わるの?と聞かれましたが、単純にガルズが好きだからです。現代でいうところの「推し」なんだと思います。OBでもないのにガルズが活躍してくれると本当に嬉しくなります。また何か持っていきますね~


大学卒業後は高知で就職します。中四国の大会をメインに出ようかと思っているので、また同じレースに出れることを楽しみにしています。29がガルズにいる間は西条にいきたいと思っているのでまた当然のように受け入れてくれると嬉しいです。約2年間、学外でしたがガルズと一緒に活動できて本当に楽しかったです。

ありがとうございました!


p.s.トータル5000字超えてました。書きたいこと書ききったからいいよね?あと、来月廿日市みに行くので行く人はぜひ会いましょう!

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