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シルエット

3 日前
読了時間: 10分

去年の夏、観音寺で見たあのレースを僕は鮮明に覚えている。普段圧倒的な強さを見せていた先輩たちですら苦しむ学生トライアスロン最高峰の舞台、インカレ。猛暑の中、先輩方の意地や絆を見せつけられた魂のレースに来年は自分が出たい、そう強く思った。

インカレが終わって、一週間ほどの帰省を終えた後すぐに練習に取り組んだ。今の自分がインカレに出るため、完走するために必要なものはスイムだと分かっていたからだ。残りの夏休みはほぼ毎日広大プールに通った。

10月になり、06幹部が始まった。掲げられた目標は団体6位入賞。僕は団体順位に絡むことは難しいかもしれないが、完走してあわよくば順位に貢献したい、と思っていた。同時に僕ならやれると思っていた。しかし、渡良瀬にてその希望は打ち砕かれた。九州大学のライバル、後藤和道に大差で敗北し、目標としていた順位からも程遠い結果。所詮僕はこの程度の選手なのだと、冷や水を浴びせられた気分だった。

日は短くなり、葉は枯れ、冬がやってきた。とにかく苦しい冬だった。黒瀬、安芸津の短水路でもがき、溺れる日々。CからBに上がれたと思ったら、気持ちがついて来れず、Cに戻ったりの繰り返し。こんなのでいいのかと思うのと同時に、なんで泳いでいるんだ、なんでトライアスロンをしているのかと自問自答の日々だった。苦しい雰囲気は伝播し、どこか重いような練習の雰囲気も辛かった。どうにか明るくしたいと、空元気を振りまきたかったが、そんな元気すらなかった。

二回エントリーした認定記録会で晃樹との差に絶望した。スイムの差は知っていたが、ランまで負けるだなんて思っていなかった。どこかで自分こそが07最速なんだという傲慢な考えを持っていたのだと思う。僕は最初から凡庸で、普通の選手だったんだということをはっきり分からされた。

夏にあった自信はその形を無くし、やめてやろうかを通り超えていっそ死んでしまえたら楽なのに、だなんて思う日もあった。それでも心の端に、あの景色が浮かび、僕を首の皮一枚つなぎとめていた。

長く暗い冬が明け、春風が吹く季節となった。さくらおろち、因島強化練で実践感覚を取り戻す練習をした。そこでの結果は自分が想像していたものよりも良く、この冬は無駄ではなかったのだとようやく思えた。そして、インカレへの切符を掴むための西日本インカレ。なんとしても勝ちたいという執念、頑張っている姿を見せたいという思いが重なり何とか枠を勝ち取ることが出来た。ようやく夏が始まった。

今までの経験上、2・3ヶ月前の練習の成果がレースで出る事は分かっていた。だから6から8月がインカレに向けての正念場である事を念頭に置いて練習に取り組んだ。

6・7月。履修登録の時点で、インカレまではトライアスロンに全てを捧げると決めていたので予定に空白を多く作っていた。その時間を利用してドリルスイムやベーススイム、フォーム改善を行った。そしてこの頃は松浦さんやおかしゅんさん、岩月さんと練習する機会があったので、きつくても逃げたくても参加した。練習を途中で投げ出してしまう日もあったり、メンタルを病んで大学会館前の橋から飛び降りを図ったりする日もあった。それでも絶望に打ちひしがれる度に原点を思い返し立ち上がった。

レースの感覚を養うため、そして失いかけていたトライアスロンを楽しむ気持ちを取り戻すために7月にひわさうみがめトライアスロンに出場した。楽しい道中や、先輩たちとの交流、そして地域の人々の応援を受けて、嫌いになりかけていたはずのトライアスロンのことを少し好きになれた。

8月は自分が設定した練習の山場だった。体大合宿では知っている人がほとんどおらず、精神的につらい中でいつもと異なるコース、メニューをこなした。はじめこそ孤独を感じ辛かったが、だんだんと仲間も増え、より練習に集中できるようになった。心も体も慣れてきて、最終日のブリックで仕上げようと思ったその矢先、落車した。迷惑をかけてしまったことへの申し訳なさと、練習が止まってしまうことへの落胆、自分の力の無さへの怒りなど、沢山の感情が溢れた。どうしても辛かった。

広島に戻ってからは松浦さんの強化週間だった。折角の練習機会なのに、怪我で思うように練習ができなかった。できないなりに頑張りはしたが、やるせなかった。どんどん弱くなっている気がして、このままでは完走すら無理だと思った。

息つく間も無く、九大合宿が始まった。海スイムでは自信を失ったものの、最終日のブリックで少しずつ研ぎ澄まされている感覚を得る事ができた。そして沢山の敬愛する九大の先輩方、強くなっていた同期と交流することを通じて全員で笑ってインカレを終えたいという気持ちになった。

続けて地元・愛媛の中島トライアスロンに出場した。家族に初めて見せるレース、そして僕が初めて見たトライアスロンの思い入れのあるレースだった。おかしゅんさんに勝つ事は叶わなかったが、地元の人に頑張っている姿を見せる事が出来てよかったと思う。

インカレに向けての最後の月になった。前半は実習もあり、練習外にリソースを割かれることもあった。しかし、これが逆に良い気分転換になったのかもしれない。リセットして練習に戻れた。

まながるはうまくいかなかった。競技面もそうだが人間性も自分には足りない物が沢山だと思った。情けなかった。インカレは悠さんの分も背負って死ぬ気で走らなければいけないと思った。

1週間前からピーキング。少しずつボリュームを落とした。水曜にブリックを行ってからはほぼドリル系のみ。やれる事はもうやったと自分に言い聞かせ、休むことを優先した。この1・2週間は緊張でうまく寝られなかった。プレッシャーに押し潰されそうな中でもいつも支えてくれる人が居たからなんとか最後まで調整し切ることが出来たと思う。本当に頭が上がらない。

前々日は移動、試走。前日は雨だったためランのドリルだけ行った。感覚は悪くない。緊張よりも、有名選手たちとこの最高の舞台で一緒にレース出来ることにワクワクする気持ちの方が強くなってきていた。今の僕で完走できないのなら仕方ない、そう割り切れるくらいにやれることはやった。

ついに9月27日を迎えた。目覚めは良好。過去最強の自分である事を確信した。いつものルーティーンのパックご飯2つ、豚汁、秋刀魚の蒲焼を食べ、会場に向かった。

去年とは打って変わり、曇天。小雨が降っていた。今年は大事な時に雨が降るシーズンであるなと思った。

トランジション搬入をし、円陣。翼さんの最後の声出し、晃樹の初めての声出しで気合を入れると同時にこれは先輩方の最後のレースなのだということを再認識した。

女子のレースが始まった。緊張でまともに見ることはできなかったが、歩子の全国に通用したスイム、紗代さんの会心のランを見て二人のように立派なレースを見せたいと思った。

時間が近づき、アップを済ませ新調した黒いトライスーツに着替えた。入水チェック前にちーさんに背中を叩いてもらい最後の気合入れをした。ナンバリングをするときに掌に書いた「悠」の文字を握りしめた。橋本さんに「あくまでお前は挑戦者なんだ。泥臭く戦ってこい。」と激励をいただき海へと向かった。

Swim 25:01(105)

他大学が外側に集まっていることを確認し、空いていた内側からのスタートを選択。岩月さんの後ろで修吾さんとスタートした。

泳ぎ始めはバトルに次ぐバトル。30秒くらいは水ではなく人の上を泳いでいた。殴られても、戦うんだと強く気持ちを持って進んだ。ブイ周りでは密集しすぎてキックで立ち上がりの加速をすることが出来ず他の選手に乗られた。それでも腕を回し抜け出した。一周目の上陸は立命館の藤井くんの後ろだった。体大合宿で僕よりスイムが速いことを知っていたので外してはいないことに安堵した。二週目からは集団が縦伸びしだし、自分と同じ泳力くらいの集団ができたのでそこから離れないように泳いだ。前に行って体力を使うよりは集団を掴んでこの後のバイクで前を追う方が良いと判断したからだ。三週目を終え、上陸。応援の声で前に創意さんがいることを把握。タイムがどうだとか外したかどうだとかは気にする余裕はなく、ただ目の前の集団を逃さないために必死に走った。強くなった雨でぬかるんだ地面に足をとられながらトランジエリアに入った。

 

Bike 59:29(25)

飛び乗りは無事成功、と思いきや左足を攣った。痛い、思わずよろめいて転倒しそうだった。よろめいている間にも後ろから来た選手たちがスピードを上げ追い抜いてくる。これ以上の遅れは完走に響く、こんなところで終わるわけにはいかないと自分を奮い立たせ、ペダルを踏みしめる。橋を越え、数人の小集団の後ろに付くまではビンディングを履かず踏み足でもがいた。履き終わり、自分のいるところが5人程度の集団になった。集団を機能させるためにローテを回すよう声を張った。少しでも前のパックへ追いつくんだと死ぬ気で踏んだ。少ししてもみじ柄のトライスーツを発見。創意さん、玄武さん、修吾さん、岩月さんがいた。広大が誇るバイカーたちに加え、白ファクター、黄エルブスの有名バイカーもいる強力なパックが形成された。二人の有名人は何度も選別をかけるアタックを繰り返した。ここに付いていく、集団を壊させないと思いほぼすべてのアタックに反応した。折り返しの立ち上がりも鋭かったため、どんどん足は削られていった。もうそろそろ限界が近いと感じ始めたとき、前に大集団が見えた。最終周目前にしておかしゅんさんをはじめとする強豪選手たちのいるパックに追いついた。バイクでやれる事はやり切った。あとはランで全力を出すだけとなった。橋を越えトランジションエリアに向かう途中、足に鋭い痛みが走った。飛び乗りの時に攣ったところをまた攣った。もうローテを回している訳でもないので減速。ランまでにどうにか回復させるべく足を伸ばし続けた。そしてようやくマシになってきたところで飛び降り。


 

Run 34:58(25)

とにかく前へ。それしか頭になかった。ウォッチを付けはしたが、ペースは見なかった。体に刻み込まれた10kmの限界ペースで走る。悠さんが周回ごとに大体の順位を教えてくださったのがありがたかった。沿道から応援の声が聞こえる。歩子のまだいける、という声や紗代さんのお前が走らなきゃ団体獲れないぞという声が聞こえた。坂では九大のたいらさんや橋本さん、はるのさんたちの声が聞こえた。坂を下る途中でも余裕が無くて誰だか分らなかったが他大学の方の応援が聞こえた。レースが始まる前には、一番応援していると言ってくれた人がいた。こんなにも沢山の人に応援されてレースできている僕は幸せものだと思った。それと同時に、結果を出して応援に応えなければならないと思った。3周目、体がきつくて坂ではレース中に初めて涙が出た。けれど、ここが踏ん張りどころだと分かっていたから力を振り絞った。ただひたすら一秒でも前へ走ることだけ考えていた。最後の直線、近畿大の選手が前にいた。この人だけでも抜いてゴールする、と最後の疾走。42位でフィニッシュ。ゴールしたあと、大体の順位を知った。岩月さんの悔しそうな顔を見て、自分の遅さ、弱さに腹が立ったし、情けなかった。悔しかった。夏もっと練習できたんじゃないか、冬もっと積み上げられたんじゃないかと後悔が押し寄せてきた。幹部目標を達成して、辛いことが多くみんなが苦しんだこの一年間が結果最高だったと証明する戦いだったのに自分のせいでそれは叶わなかった。申し訳なかった。

Total 1:59:28(42)



無事全員完走したのを見届けて、安堵した。全員完走出来て本当に良かった。帰りのハイエースでは自分のレースの話はできなかった。振り返ると涙があふれてきてしまうから、他の人を褒めることと運転に徹した。終わってから体にガタがきたのか、腹痛が止まらなくなった。折角ごはんを食べに行ったのにほとんどの時間をトイレで過ごした。申し訳ないことに片付けをキャンセルさせていただき先に家に下していただいた。情けなかった。ありがとうございました。

 

初めてのインカレは苦い思い出となった。次こそは団体入賞と個人目標を達成したいと強く思った。追いかけ続けてきた先輩たちの姿に近づけているか分からないが、卒業されるまでの間にもっと成長した姿を見せられるよう努力したい。そして自分も背中を見せられるようになりたい。

最後になりますが応援、サポートしてくださった皆様、運営に携わってくださった全ての皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

「観音寺での借りは、観音寺でしか返せない。」

もっと強くなってここに戻ってきます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。それではまた逢う日まで。

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