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ヨシヲたちさる

  • 3月25日
  • 読了時間: 24分

2021年、3月下旬。


よしお少年は人生の岐路に立っていた。


大崎下島の古民家で橋本さんの卒業ブログを読みながら、トライアスロン部への入部を本気で考えていた。当時続けていたあることを今後も続けるのか、それともトライアスロン部に入部するのか。


8月、大誠さんに下島で会った。朝4時に走りに行き、海を泳ぎ、真夏に山を登り、下島までバイクで移動する姿は、本当に輝いて映った。こんな風になれたらどんな景色が見れるんだろうかと憧れた。


2月にバイクを買った。大誠さんと同じGIANT。毎日乗って、愛媛まで行った。3月に黒瀬に1人、バイクで行った。ぐちゃぐちゃの泳ぎで命辛々25mを完泳し、水泳選手さながらのガッツポーズをした。


その後入部体験に行った。黒瀬で腰洗いシャワーがまだ出ていた頃。小松さんの車だった。佐野さんと玉麻さんに泳ぎを教えてもらった。日焼けして紫ばんだ中学のスクール水着で参加した。僕の泳ぎを見て玉麻さんは笑いこそしなかったが引いていた。ジェイソンさんドリルで、一緒のコースにいた峰松と浩平のキックの波で死ぬほど水を飲み、これを毎日やるのか…?(※毎日ではない)と割と希望を失った。


海で溺れて死にかけた記憶がある。トラウマは放っておいてもトラウマのままである。途中で辞めるとか、そんなのは嫌だった。3年間本当に毎日しんどいかもしれない。「2年から始めて追いつけるのか?」「泳げるようになんてならないんじゃないか?」


でも、せっかくならやってみよう。見たことのない景色を見てみよう。そう考え、入部を決めた。第一号奥田の数日後、樋口と一緒に入部した。4月中旬のことである。続けていたことは辞め(させられ)た。


入部して、当初は困難だった。広大プールの水は冷たいし、ウェットを着ても100mを2:30でしか泳げない。バイクは僕より遅く始めたはずの03より遅い。ランは4:45で走るのがやっと。でも、楽しかった。大誠さんに一歩ずつ近づいている気がして。


本当の困難は他にあった。途中入部した僕は「新入生」、「新入部員の03」ではなく「先輩」であり「02」であった。これが意外と難しかった。正直、新入生気分ではいられなかったし、純粋に競技を楽しみきれなかった(浜野もこれは感じていたと思う)。


「もうすぐ幹部だから」幹部ってなんだ?何をするんだ?「インカレ」インカレってなんだろう。トライアスロンをそもそも見たことない。全てにおいてイメージがつかなかった。02はみんなそうだったと思う。02の一番早い入部者は宗生であり、10月である。令和二年は2020年、コロナ全盛期である。どこの部活もやっていなかった。ここで僕たちは幹部を「見て、体験して」理解するのではなく、「聞いて」理解してしまった。これが問題の総てだった。


でもそんな事を言っている場合ではない。一応、02会も夏から毎週欠かさずやっていた。毎週月曜の朝、集まったりした。参加率が悪かった。みんな忙しいのは分かるけど、「仕方がないのか?」といつも疑問に思っていた。いつまで経っても真面目な話の最中に離席してカーテンや道具を触っていた人物もいたが、誰も触れなかったので僕も触れないようにした。途中入部だったから。先輩方にとってはこんな学年、心配や気苦労が絶えなかったと思います。すみませんでした。


こんな環境の中で、先輩方は自分に声を掛けて下さった。幹部とは何かを、01さんには特によく教えていただいた。選手としても、練習を重ねる度、少しずつ速くなっていくのが嬉しかった。続けたい理由ができた。特に身体の変化への興味は自分の原点となり、修士までの専攻に繋がった。


副主将とバイクパートをやることになった。任命制だと思っていたので驚いた。一瞬だけ自分に主将が回ってきかけたが、途中入部だったことが障壁となり流れた。絶対に宗生が良いに決まっている。あそこまでうまく緩衝してくれる存在は唯一無二である。もしそうなっていたかと思うと末恐ろしい。自分としては入部して数ヶ月で決まったことなので、大きなプレッシャーを感じた。こんな急で良いのか、僕何も知らんけど。でも、とても名誉に思ったので頑張ろうと決めた。


選手としてのガルズはとても楽しかったが、幹部としてのガルズは困難を極めた。当時のガルズの人間関係は複雑で、派閥があった。ある結びつきがあった。幹部なんだから自分たちの好きなようにやれば良いよと言われたが、そもそも僕たちは幹部とインカレを知らない。好きなように、を、先輩がいないとできない。


好きなようにやろうと思っても、どうしても、言っていることは出鱈目な声の大きい者や、心底どうでも良い事を喧伝して問題化したがる者の言う通りにするしかなかった。正しい事を言ってくださる先輩を悪者にしたり、対立を深めるわけにはいかなかったので、結局02の僕たちが悪い、ということにするしかなかった。何度もあったが、これは本当に疲弊した。おかしいと思い始めた瞬間から距離を置くべきだった。発言をするのであれば、表に出て、筋を通す必要がある。


幹部では全てが空回りした。

「自分がなんとかするしかない」

いや、何も知らない自分では何もできないだろう

「先輩に頼ろう、わからない」

構造上どうしても邪魔が入る

「宗生、どうしよう」

宗生にこれ以上の苦労は掛けられない。

「03に頼ろうか?」

幹部の仕事は幹部でしっかり完結させるべきだ。練習とか、今しかできないことに集中させてあげたい。先輩として認めてくれた03になんとか残してあげたい。


板挟みで動けなくなった。


何とかしないと、とは思ってはいたが、中々動けなかった。とても多くの仕事があるのに、気付いたら幹部の仕事をしてくれる同期が宗生だけになった。02ラインはほぼ動いていなかった。03に多くの仕事を手伝ってもらうことになった。幹部の仕事は幹部の学年がやるものだとばかり思っていたので、申し訳なかった。2年連続でこんなしんどいことをやらせるのは…こんなに優秀な学年なのに。と罪悪感を覚えると同時に何もしない同期の人たちは本当に理解できなかった。サークルか何かと思っていたのか?02だから?僕たちを犠牲にしてまで他に優先することがあった?何を考えていたのだろうと今でも思う時がある。僕が間違っていたのだろうか。「僕たちとは大きく違うんだな」と強く思ってしまったことは間違っていたと思う。理解し、対話をする余裕がなかった。そんなことより、本当に2年連続であの激務のスイムパートを務めてくれた樋口と廣本には頭が上がらない。会計をほぼ2年も務めてくれた三枝も。本当に本当に、ありがとう。この恩は忘れない。


バイクパートとしても最悪レベルだったと思う。運動生理やトレーニング理論を調べ、ジェイソンさんに電話で色々なことを聞いた。でもうまくやれなかった。バイクパートは「バイクでNo.1」である必要があると考えていた。競技力?中山さんや小松さん、西岡さんには1年では勝てそうになかった。メカニック?大誠さんと鉄平さんがいる。メニュー作り?倉元さんより詳しくはなれないだろう。熱血?橋本さんには到底及ばない。かなり迷った挙句、「運動生理学」と「ペダリングとフォーム」でNo.1になろうと思い至り、毎日兎に角努力した。前者は倉元さんには及ばず、中山さんや尭さんも相当詳しかったので当時は未達(今は僕か?いや奥田かな。)、後者は…どうだろうか。ガルズ以外のコミュニティがないから評価が分からないけど、人に教えられるレベルにはなったように思う。


バイクパートの仕事については、副主将としてのことで頭がいっぱいで、そこまで時間を取れなかった。バイクパートとして自分が理想としていたのは創意みたいな姿だった。よく理論を学び、知り、競技力もピカイチ。説得力がある。そんなパートリーダーになっていたかった。草野や中村はよく持ち直してくれたと思う。個性を出してくれた。自分のような模造ではなかった。ありがとう。


幹部の終盤に差し掛かると、色々なものに板挟みになった。誰が味方かわからなくなった。眠れなくなり練習にも参加できない日が増え辛かったが、もっと辛いのは絶対に宗生だった。いろいろと考えすぎてしまう僕を見てか、ほぼ一人で「幹部の」意思決定をしてくれた。頑張らなければ、と頭で思うたびに身体は正反対の反応を示した。先輩に頼っても02への期待度を考えると申し訳なさで一杯になるし、後輩を頼るのももっと申し訳ない。ほんの少しだけ、諦めた。


6月か7月の全体会で、団体順位やインカレに対しての幹部の態度を、雅人さんが本気で戒めてくださった(当時の全体会はここ最近のような和やかな雰囲気などは一切なく、本気の議論の場であった)。暫く顔を上げられなかった。その後、哲平さんがまとめて下さったが、ここで何か吹っ切れた。何とかしないと、遠くの理想ではなくて近くのできることからやろうと、選手として特に頑張り始めた。急に競技力が伸びた。夏なのに3:50で走れた。ウェットの宗生に1500で勝った。インカレの出場権なんて持っていなかったが、自分はチームの顔となる幹部である。哲平さんの言う通り、僕たちは強い、絶対に強い!


幹部の具体的な記憶はほとんどない。幹部が終わった時は逃げ切ったみたいな、心こそ軽いのに何かずっしり黒いものがどこかに纏わりついている様な嫌な感覚になった。幹部の時の記憶は靄が掛かっていて、あまり思い出せない。


先輩方は優しすぎるので、こんな僕たちを見ても、よく頑張った、とかmvpは幹部の人間だ、とか言ってくださった。本当に有難いという言葉では表せない。正直自分は何もできなかった罪悪感でいっぱいっぱいになる。どうすればよかったのかと思うが、僕のなかでは今でもこれ以上の解決策を見出だせない。ご迷惑をおかけして、すみませんでした。本当にありがとうございました。


こんな暗闇の中でもやはり、観音寺のインカレで、中山さん、小松さん、雅人さんが取ってくださった史上最高の団体順位6位は、本当にうれしかった。自分は何もできなかったけど、幹部が、02が、宗生が、チームがこの御三方のお陰で救われたと思った。「挑戦し続けるチーム」を掲げる幹部として、やったことのないことへ多く挑んだ。それが報われたのである。だからどうしても報われるという表現を今までしてきた。過大表現などでは決してない。本当に、2022年のあの日、インカレ当日、団体順位発表。宗生と抱き合って喜んだ瞬間は忘れない。今でも脳内に木霊する「第6位、広島大学」という声は、自分をさらに前へと押し進めてくれる。どれだけ失敗をしても、闘っていける。




以上が幹部としてのよしおです。

重い話が混じってしまってすみません(ほぼ重いか笑)。次は選手としてのよしお、インカレ選手のよしおについて書かせて下さい(明るくね!!!!)




2021年10月3日。入部して半年くらい。初めて見た予選(というかトライアスロン)はB2の部内予選だった。2021年はコロナで予選が中止になり(今思うとビックリ)、中四国は部内+愛媛大宮内さんにより、大崎下島にてスプリント形式で開催された。このレースには02からは宗生、03からは玄武、樋口、岡田が出た。初めて見た先輩方や後輩の全力のレース。「単走でこんなに差がつくの!?」中山さんの圧倒的速さ、西岡さん、小松さんの安定感、玉麻さんのラン、平野さんと尭さんのラスト勝負、岡田の陸の巻き上げ、諦めなかった樋口のラン、1年生ながら安定して枠を勝ち取った玄武、半年以上泳がれていなかったのに最後までしっかり完走された宮内さん、赤木さん、大誠さんのバイクの追い上げ、初めて飲んだらしいメダリスト吐きそうにな…じゃなかった、千切れても諦めずに走りきった宗生。本当に痺れた。その後の渡良瀬のインカレでも、バイクの速さ、大集団に本当に驚き、この世界に入りたい!と強い憧れを抱いた。同時に、西岡さんがAの最後尾を走られている姿を応援して、あんなに速い西岡さんでも完走がギリギリなのかと大きな衝撃を受けた。


B3、幹部。もう書かないが、心身ともに疲れていた。「よしおでギリボーダー」「ミスらなければいける」と言われつつ迎えた予選は、前々日一睡もできず、また変則的なデュアスロンでの開催となり、10枠中12位で惜敗した。当時は結果を信じることができなかったが、このレースはトライアスロンや勝負の厳しさを教えてくれた。今なら確信を持って言えるが、ODだったとしても負けていただろう。このレースから、「レース当日だけに起こる奇跡」なんてものは信じなくなった。レースが始まる前から、実は決着はついていて、レースはその導きに沿ってやるだけなのかもしれない。02以下では浩平、岡田、玄武、樋口がインカレの出場権を得た。気持ちもさることながら、しっかり決める実力を持ち合わせた選手たちだった。迎えたインカレは歴代最少レベルの完走者であった過酷なレース。暑さもさることながら、先頭の選手がスイムバイク単走にも関わらず異様な速さで他選手を刈り取っていった。これが「観音寺」の「インカレ」なのか?02以下の4人は惜しい所でラップされてしまった。特に、樋口と玄武にレース後「完走できなくてすみません」と謝らせてしまい、この不甲斐なさはどうしても忘れられず、口だけで何もできなかったという強い自己嫌悪に陥った。この年はGullsの完走者が3人であったにも関わらず団体順位は初の6位入賞。02幹部は初めて報われた。表彰台の中山さん、宗平さん、雅人さんのカッコよさ、宗生と抱き合ったあの瞬間は忘れない。一方で自分のことを、そしてチームのことを誰よりも考えていい方向に導いてくださった哲平さんも落車により足切りされた。自分のことのように無念に感じたが、他の先輩方の方が無念だったと思う。このインカレ後に、哲平さんからトライスーツを預かった。来年こそは絶対にインカレに。哲平さんの無念を晴らす、仇を討つと意気込んだ。


迎えたB4。緊張のし過ぎでまたしても一睡もできず予選に臨んだ。今思えば絶対に寝る、寝ないと…が良くなかった、今は「眠れなくてもまぁ大丈夫だろう」と考えているうちに寝ているが、このあたりの年の寝ずに完走したレースの成功体験のおかげだと思われる。この年は因島開催の第一回大会だった。スイムから低浮上(※沈んでいたわけではない)なレースを続けて何とか10枠中8位に滑り込むことができた。僕の前では誰よりも努力してきた廣本と長期間の怪我から復活した三枝が争い、スプリント勝負を繰り広げた。最後の最後で抜かれた2人の背中は、悔しかったけど本当にかっこよかった。樋口が最初に巨人化したのはこのレースだったね。はっさく屋の下から聞こえてくる地獄のような唸り声は忘れない。本当にあの状態でよく滑り込んだ…。浩平は団体メンバーとなっており、何だか遠くに行ってしまった気がした。この第一回大会は中山さんが優勝された。コース短縮された今では幻となったKOMが残っている。カッコイイ。玄武が以下までをバイクで周回遅れにする異様なパフォーマンスは、今思い出しても鳥肌が立つ。そんなこんなで出場権を得た初の観音寺。ずっと欲しかった旗と赤ポロに大はしゃぎ、応援に来てくださったOBさんにハイテンションで話しかけるなどハイだった。自分はもしかして本番に割と強いと感じたのはこのあたりだったかな。1年前から決めていた事だが、自分をここまで導いてくれたTeppelスーツで出場した。ノンウェットでしたがスイムは25分で上がることができ、完走ボーダーであった超バイカーパックに岡田とともに滑り込んだ。忘れもしないバイクの残り2周目、忘れもしない奥の折り返し、最後に立ち上がったことが災いし、前の選手の立ちごけ?前輪ハスリ?に巻き込まれて落車した。多分GAIAのパスカル君が「一緒に行け!」と言ってくれたがその選手はメカトラか心が折れたのか一緒に来てくれず、一緒だったパックの何人かに振り向かれつつ、単独走に。暑さでもうろうとする中、手前の折り返しに立っていた審判さんの掲げる残り周回数は「2」。あぁ、これが「1」だったらな、夢だと言ってくれよ、なんて思った。立ち上がった瞬間それはもうすごい大声援。耳が音を拾わなくなるくらいの応援を沿道の方からいただいた。その中でも不思議なもので、Gullsの選手の表情や、声だけはしっかりと聞こえた。宗生、浜野、橋本さん、谷本さんの声は特にしっかり、生々しく覚えている。結局ファミリーマートの前あたりでLapされた。先頭とはまだ十分差が開いていたが、当時は2025年インカレのように具体的な数値が記載されていなかったので、運営上の都合なのだろう。レース後はお世話になった先輩方から励ましの言葉を頂いた。ある方は「トライスーツのせいやから」、ある方は「よくやったよ」、ある方は「もったいなかった」と言って下さった。全て覚えている。優劣をつけるわけではないが、特に「来年、俺の夢を叶えてくれ」という言葉が胸に刻まれた。この不甲斐なさは今後も背負っていくことだと思う。


M1。それはそれは落ち込んだ精神状態だった。4年の冬には、幹部も終わったのに自分は練習に参加していいのだろうかと常に悩み、春には得意のミドルで(別に速くもなんともないが)20位を獲ったことで(←就活のネタにはなったぞ‼)(←この話した企業全部落ちた!!!)(すみません)割と満足し、予選にはぎりぎりまで出るか迷った。今思えばショートが速くないのにミドルが速いわけがなく、変な決断をしなくてよかったと思う。インカレ「完走」よりミドルで国内上位を狙う方が難しいに決まっている。予選をもし通過してもまたインカレで落車したら、ラップされたら。今年は誰々が出るから完走が危うい、みたいなことばかり耳に入っていた。貴重な8枠中1枠を僕が使っていいのだろうか。頑張ってくれた幹部、下級生の選手が出たほうが…と葛藤があった。悩んだ末、「実力がある者が出たほうがインカレの完走確率は高くなるから、結果的にGullsのためになる、その実力のある者を決めるのが予選だ」と考え、出場を決意した。いつも壁に掛けていたTeppelスーツが背中を押してくれた。結局、予選ではまたしてもスイムから低浮上(沈んでいたのは主に精神面)なレースを続け、中四国4位で完走でき(スイムバイクともにひどかったがトライアスロンのランと暑熱順化で勝てた)、自分の隠れた強さに気づいたような気がした。焦って踏みすぎなハルトマンが僕に怒られたり、パンクで創平が悔しそうにしてたっけ?ただ予選後はうまくパフォーマンスを上げることができず、また交通事故に遭ったこともあり心も体も限界に近かった(結果的に某ホイールが買えたのでこればかりは悪かったとも言えない…)。そんな中、台風でインカレが中止になり、全てが抜け落ちた感覚になった。2週間ほどはほぼ練習できず、すぐに学会に参加した後は逃げるように帰省した。この練習ができなかった期間により、身体の状態は落ちたが心の状態は万全になった。この経験は自分に多くのヒントをくれた。インカレは渡良瀬となり、直前までABのスタートリストが出ず(※)、インカレ選手会議が玉麻さんの招集により高い頻度で開催された。

(※)ABとは…渡良瀬で開催された2020、2021、2024のインカレでは交通規制をしない関係で、A組(約70名)とB組(約70名)で全く別の時間に競技を開始し、リザルトはゴールしたタイム順でABを混ぜて記載されるという変わった形式でした。開催していただきありがとうございます。


2020、2021年はAB分けが各大学に完全に委ねられ、戦略を練る必要があったと聞いた。2024年もそれと同じ案が採用されると当時の僕たちは予測した。だが、2021年の完走者で、スイムの足切りのタイムがウエット有といえども22分台。過酷な足切りがあるAに出なければいけないのは8人中4人と僕たちは予測した。じゃあ誰が出るのか?とても重い雰囲気で、誰も名乗りを上げない中、中四国1位であった岡田が手を上げた。次に渋々ながらも2位の岩月、そして「中四国の順位的に」と3位の玄武、そして樋口が出ることになった。自分と同じく去年完走できなかった岡田、当時3年生ながらも責任を背負ってくれた岩月、自分と1500のタイムが変わらないのに明確な覚悟を持っていた玄武、そして泳力的に我慢してくれた樋口。この4人には今でも本当に頭が下がる思いである。強い選手とはこういうことを言うのだと思った。自分が犠牲になってAで出れば解決するじゃないか、と思いながらも、最後まで手を挙げることはできませんでした。「中四国4位」が笑わせますね。インカレ選手は皆、思っているよりも遥かに強いです。今後本人らの口から出ることはなさそうなのでここに記しておきます。結果として、Aでは岩月が最初にスイムアップ、続いて玄武、岡田が22分台(大学の業務で深夜0時?に現地入りしていたが…)でスイムアップし、皆千切れることなく完走した。レース前ながら観戦し、本当に感動した。かっこよすぎた。その後自信を持って臨んだ自分の結果は77位。ランで脚を攣ってしまい、パッとしない順位だったが完走し、ある程度満足した。自分もインカレでリザルトを残せて、これまでのインカレ選手の仲間入りができたような気がして嬉しかった。翌日のスプリント選手権は……うん、今は良いでしょう。


 M2は修論から始まり、実験を始めるまでが非常にしんどかった。桜が灰色に見えるくらい追い込まれた。だが一度始まってしまえば何とかこなせた。協力してくれたGullsの皆さん、本当にありがとうございました。この年はインカレにすべて賭けるつもりだったので、予選とインカレ以外のレースは全て控えた(あのレースから調子が狂ったとか、あのレースまでは完璧だったなんてことを言いたくなく、インカレを完走出来ればもうそれでよかった)。大阪城も長良川も赤穂も福山も皆生もマルチスポーツ選手権も、出たかったのですが…またこれから出ます。例年と違いピーキングをせず迎えた予選は何だか体調が優れず、スイムから低浮上(この年は本当に沈んでいた)(遅すぎて一部から水遊びと言われているらしい)なレースを続けて何とか中四国ボーダーギリギリで完走するという始末。応援に来てくださった哲平さんの前でTeppelスーツをせっかく着ているのに、そして修吾にぎりぎりまで付き位置して最後だけ抜かすという性悪ムーブをかますなど…全くM2とは思えないギリギリのレースで本当に悔しかった。「追いつく!」とか「これで枠入れたらガチでかっこいいぞ」と思って最後まで諦めなくて良かったと思う。その後迎えたインカレは、不思議と全く緊張せず、迎えるべくして迎えたような不思議な心境だった。本番は強い方、合わせるのはうまい方と自分に信じ込ませていたので、スイムアップして自分より泳力のある岡田やタカヒロと一緒のパックに入れた時には何だか「叶った」気がして嬉しかった。ありきたりな表現にはなるが、観音寺はやはり格別だった。今まで走った全てのトライアスロンの中で一番である。この先もずっと。5年の集大成として走ったラストインカレは75位。学生大決戦であったので去年と順位的にはほぼ変わらなかったが、出し切ることができ満足した。ただ、この年は自分が幹部の代から続いていた団体順位6位入賞を逃した。自分がもっと頑張るべきだった。「あそこであの選手についていけていれば」パックを上げられた、「あの時踏んでいたら」岡田とタカヒロを楽にできただろう、「もっと走れたら」 50番台も狙えただろう…と後悔を続けたが、無意味だと気づいた。レースまでの積み重ねが限界を高めるのであって、レースはいかにその限界に辿り着けるかというだけ。レースで限界を超えるなんてことはない。3年連続で団体メンバーの3番手はM2だったのに。日に日に悔しくなった。OB会では僕たちのインカレに向けられていた期待を知り、僕はここにいて良いのか?と終始情けなさでいっぱいだった。「インカレ完走」を狙う者にそれ以上が取れるはずがなかった。団体順位3番手を狙うなら、1番手2番手を狙うくらいでなければいけなかった。こんな思いが今でも亡霊のように頭に漂って、自分を練習させてくれているような気がする。悔しさも大きいが、この経験も今の自分に大きなヒントを与えてくれた。やっぱり数年単位で努力し続けないと事は成し遂げられない。そして「頑張った分だけ道は開けるんだ」と学んだ(余談ですが、昔好きだったバトルスピリッツ覇王のED、『My Hero, My No.1』をインカレ後に聞いた時、歌詞に感動して今日まで聞き続けています笑)。








さて、ここまで「幹部」と「インカレ選手」としての経験を書いてきましたが、最後に僕から伝えたいことが2つあります。


まず、幹部の経験を通して伝えたいのは、「ゆらぎ」を大切にしてほしいということ。

僕たちは競技者である以前に大学生であり、人間です。やはり心にも身体にもリズムがあり、日々変動します。調子のいい時は思う存分押せばいいです。ですが調子の悪いときこそ重要です。向かい風の時にエアロフォームを取ったり、ピッチを上げるように、闘い方を考える必要があります。「メンタルや調子が落ち込んでいる、自分はダメな奴だ」なんて思わないでください。否定から入るのではなく、まずは落ち込んでいる自分を認めてあげてください。そういうもんです。落ちる日もあります。上がる日もあるんだから。これは身体面の話ですが、調子の悪いときと良いときに適切な練習は違います。乳酸値、RPE、心拍数全てが違います。自分の状態に見合った練習をした方が、目的地に早く到達できるのではないでしょうか。調子が悪い!の後に自分はダメだと否定から入るのではなく、調子が悪い!だからこうしようと受け入れてから、闘ってみて下さい。きっとメンタルでも同じことが言えるでしょう。でも、どうしても認められなかったり、落ち込みすぎてしまう時があります。授業が忙しくなった時、試験、研究室、就活、幹部やインカレ。多くの競技以外のタフなイベントがあります。競技から離れたくなる日も来るかもしれません。ですがそんな時こそ、原点に戻って考えてみて下さい。自分はなぜトライアスロンを始めたのか?何が楽しかったのか?この一番内側で核になっている、純粋な自分の気持ちは、きっと競技を続けているうちに凝り固まってくる責任感や重圧を和らげてくれるはずです。波のない選手はいません。波の大きさが少ない選手と波の性質を知っている選手がいるだけです。波を操るというのは至難を極めます。自分を知り、自分の波を知り、波に乗ることが大事です。




次に、インカレの経験を通して伝えたいことは、インカレを目指して欲しいということ。


中四国枠はかなり独特で、ほぼガルズ内で順位が決まりますね(顔見知りの少数大学という意味では九州や東北と近いのだろうか?あ、谷本さん、角南君や木村君を忘れているわけではないですよ!!)。ということは、インカレの完走可否や順位が、来年の枠数に直結するワケです。つまり自分のレース結果によっては出られる後輩が減るかもしれない。それもガルズの、自分を慕ってくれる後輩の。


こういう事を言うのもなんですがインカレは心も身体もかなり注がないといけません。色々持って行かれます。消耗します。でも、インカレには「在学中しか出られない」を遥かに超えるものがあります。「出たかった後輩たちを優先したほうがいいんじゃないか」「完走できなかったら後輩やobogさんはどう思うか」「自分で良かったのか」とか、これらを全て背負って、乗り越えて走った観音寺のランコースというのは、言葉では言い表せない程の価値があります。


将来のインカレ選手へ。先に言っておきます。

予選で、とんな手段であれ勝ったということは、インカレに挑戦する権利があるということ。自分に誇りを持って、果敢に立ち向かって下さい。駄目だったらどうしようと考えるかもしれませんが、インカレへの挑戦は権利を掴んだ人の特権です。ロールダウンとか考える必要は一切ないです。後輩とかチームとか、他人軸ではなくて挑戦する自分という軸を優先して堂々と闘ってください。結果は闘った後に付いてきます。負けた人は応援する義務があります。挑戦する仲間を本気で支えてあげてください。堂々と、やればいいです。


3年連続、運良くインカレに出させて頂いて、lap(観音寺)、完走(渡良瀬)、完走(観音寺)という成績を残した僕の意見にはなりますが、是非、皆にはインカレを目指して欲しい。そして勝って欲しい。仲間と喜びを分かち合って欲しい。先輩としては皆のそんな姿が見たいです。 


出場歴のある皆。背負うものは年々重くなると思うけど、今後のガルズをよろしくお願いします。皆は本当に強いから絶対に大丈夫。




自分がGullsに入部してからの5年間で、部の雰囲気は大きく変わりました。同時に部全体の競技力も上がってきましたが、数年前より練習法が最適化されたことが一因となり全国のレベルはそれ以上に非常に高い水準になりつつあるのも事実です。大学生活、うまくいかない事がほとんどだと思いますが、半歩ずつ,四分の一歩ずつでも進んだ日々の積み重ねは、必ず大きな成果となって還ってきます。周りがどれだけ速くても、どれだけ邪魔が入ろうとも、目標を見据え続けてください。辛かった経験は振り返った時に必ず「よかったな」と思えるはず。


これでGulls吉村のブログは最後です。

初ブログ「ヨシヲあらわる」から始まり「ヨシヲたちさる」にて終了です(わかった人は果たしているのか?笑)。毎度反省文級に長いにもかかわらず(今回は12000字!読み手のことも考えろ!!)、今まで読んでくださった皆様ありがとうございました。楽しいことよりもしんどいことの方が本当に多かったですが、部での全ての経験が自分を大きく育ててくれました。甘ったれで性根がカスな自分にはちょうど良い刺激的な毎日でした(エ?今でも?ハイ精進します…)。僕は、インカレや幹部の犠牲になったとは全く思いません。多くの経験や試練を与えて下さった全ての人に感謝しています。最高の競技と仲間に出会えた自分は幸せ者です。改めて、こんな僕たちを育てて下さった29、30、01の先輩方、本当にありがとうございました。そして、僕たち選手のことを本当に考えて下さったマネージャーの皆様、本当に自分とは数段階上にいる方だと思っています。29、30、01の先輩方、めぐみちゃん、彩乃さん、真衣ちゃん、つづりちゃん、はるのちゃん、ちひろちゃん。本当にありがとうございました。彩乃さんはGulls全員が認める日本一のマネージャーです。


02もいなくなりますね(なる…よな…?)。お世話になりました、ホントにいろいろすみませんでした。舌打ち事件、中指事件、諸々の暴言、黒瀬プール及び近隣住民の方への迷惑行為と枚挙に暇がありません。あ、もうないと思いますが、玄武君。よしお誤字録及び2021年インカレ後の飲み会における例の動画は削除しておくように。


自分はどうせ今後もトライアスロンアスロンしてると思います。もし離れていたとしてもエンデュアーエンデュアーして何かしらの形式で巧妙な手段で身体をいじめていることが予測されるので…いつかまた、どこかでお会いしましょう!












2025年12月13日、OB会にて、自分にインカレを完走する理由を与え、M2のインカレ完走まで導いてもらったトライスーツをお返ししました。3年もかかりましたが、仇打ち、果たしました。長かった戦いに終わりが訪れました。相変わらず、「これで怨念が晴れたな」なんて仰っていましたが、怨念なんかではなかったですよ。





ありがとうございました


 
 
 

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