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第2章 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP NICE 2025 ~1年の振り返りを添えて~

  • 執筆者の写真: 29Gulls
    29Gulls
  • 10月4日
  • 読了時間: 13分

1年ぶりのブログです、お久しぶりです。


9月14日、アイアンマン世界選手権に出場しました。


応援してくださった方、サポートしてくださった方、本当にありがとうございました。特に、皆さんが書いてくれた旗をいただいた時はとても嬉しかったです。


今回はレースとともにシーズン全体を文字に起こしながら反省し、次につなげたいと思います。思い出したことをとりあえず綴っていくので、ちょいちょい変な所があるかも。


1.       アイアンマン世界選手権(まとめ)

結果はバイク約80km地点でDNFでした。原因は左大腿外側の痛みです。3月に痛め、宮古島もそれが原因でバイク中にDNFし、結局最後まで完治させることが出来ずに世界選手権を迎えました。

エイドでDNFを申告してからバスで回収されるまで2時間、バスに揺られて会場に帰ってくるまで2時間、計4時間ほど時間があり、その間色んな事を考えました。どうして怪我したのか、もっと治療のためにできることはなかったのかという後悔、この先完全に治癒して競技を続けられるのかという不安などなど。

色々と考えた結果、「過ぎたことをいつまでも引き摺っても仕方ない。二度と同じ失敗をしないように反省して、それを次に生かすしかない」という結論に至りました。まだ24歳、されど24歳。時間はまだたくさんありますが、ぼーっとしていたらあっという間に過ぎそうなので、自分が何をやりたいことを達成できるよう時間を大切にしていきたいです。

このDNFが先述のアクシデントですが、バスで拾われるときに来たマーシャルが「どこか悪いのか?」と声をかけてくれて、「以前痛めた脚をまた痛めてしまったんだ。でもまたこの場に戻ってくるよ」と答えたら、「今言ったことメモっとくからね(メモするジェスチャー)」と言って肩をたたきながらバスに乗せてくれました。何気ない会話ですが、元気が出たし、本当にまた世界選手権に出て、次こそは結果を残したいと思いました。


2.       2025シーズン

◆  2024年9月

 14日にアイアンマン北海道を終え、オフ期間に入りました。レースは大きく垂れることなく完走し、世界選手権への切符を手に入れ、喜びに満ちていたし、その先のことにワクワクしていました。

◆  10月~12月

 本世界選手権を最大のターゲットレースとしつつ、中間となる4月に宮古島トライアスロンに出場することで、約半年間のトレーニングサイクルを2回行うことに決めました。このとき前半のサイクルはThe Triathlon Training Bibleをベースにしました。それに加えて、苦手意識のあったランについて、週間40kmから始め、徐々に週間60km弱まで伸ばしました。週間走行距離を埋めるために週末に20~30km走を行うこともしばしば。そこで迎えた年末の10kmTT、結果は37:05と自分ベストを出しました。

 12月には、トライアスロンのトレーニングと並行して、トレイルランニングも始めました。Gulls OBの大先輩方に混ぜてもらい、ランとバイクを補強する目的で週末に何度か竜王山などへ連れて行ってもらいました。


◆  2025年1月

 それからというもの、練習量に対し回復が追い付かなかったためか、頻繁に風邪をひき、1月末まで寝込んで動いての繰り返しでした。年末年始はゆっくり休みましたが、そこから練習再開するのに持ち上げる腰が重いのなんの。どうやら自分は、レース後や連休期間のオフ期間が苦手のようで、軽くでも運動を継続する方が性に合っている気がします。


◆  2月

 笠戸島のトレランレースに出場しました。マラソンより短いけどそれよりキツいんだろうなと思っていたら、待ち受けていたのは断崖絶壁。垂れているロープを伝わないと登れないほどで、下るときはロープを握っていても足元が滑るので怖かったです。途中で左足首を捻挫しました。痛みは捻ったときだけでそれ以降は一切痛みはありませんでしたが、このアクシデントがその後の故障に繋がっていきます(多分)。想像以上にタフなレースで、その後1週間ほどオフを取りました。しかし、中旬から下旬にかけては旅行が控えており、待ちきれない気持ちが勝って練習はなあなあに。月末までコンスタントな練習を積まずに過ごしました。ここでも、やはり、週単位のオフは性に合わないと実感しました。1月の反省を活かせていない(!)


◆  3月

 旅行から帰って練習を再開。この時、Training Peaksのコーチングを始めました。再開すぐのバイクメニューからコーチに指定されたもので、初日はバイクの高強度ローラー、2日目はバイク中強度2h練でしたが、ここで今もまだ治っていない左大腿の外側を痛めます。振りかえって失敗だったと思うのは、2~3週間ほぼオフが続いたのちに、徐々に強度を上げずにいきなり高強度に取り組んだ点、しかもそれを旅行中に買った新しいシューズで行った点です。今思えばかなりリスキーだなと思い、少なくともこの2つの失敗は繰り返すまいと心に誓っています。

 そこからは、コーチがメニューをくれるものの、故障のために完遂できないことが続きました。コーチは臨機応変に対応してくれましたが、自分は高いコーチング料を払ってもコーチのメニューをこなせないんじゃ続けてもなあ…と感じていました。しかし、続けてみないとその価値は分からないだろうと思い、まずは4月の宮古島まで1か月間続けることにしました。

◆  4月

 宮古島に向け、トレーニングのボリュームが徐々に増しました。しかし、バイクは相変わらず脚が痛くてボリュームを稼げない。それに、ガルズの練習に慣れていたこともあり、ラン練の設定ペースが遅く感じたり、スイムの練習量が物足りないと感じたりと、何となくトレーニングが合わないと思っていました。それでも、まだコーチングを始めて1か月で見切りをつけるのは早すぎる、実績のあるコーチだから大丈夫だと考えて、コーチングを継続しました。

 そして迎えた宮古島トライアスロン、結果はバイク70km地点でのDNFでした。正直、何となくこうなりそうだとは怪我の具合から分かっていましたが、それでも悔しいし、サポートしてくれた家族とチームメイトに申し訳なかったです。

 結局、4月でコーチングをやめました。コーチングが原因と決めつけるにはあまりにも期間が短すぎるし、コーチングやると決めたのは自分自身ですが、結果的に3パート全てにおいてパフォーマンスが以前より落ちてしまったことに対して、何だかやるせない気持ちが残りました。


◆  5~7月

 気持ちを切り替えて、自分でトレーニングプランを組みました。The Triathlon Training Bibleで練習していた時は、Zone 2が本当にこんな高いのかと疑心暗鬼になり、それより心拍数を落として練習してプランから外れることが多々あったため、今回は80/20 TriathlonというFitzggerald & Warden の本を参考にしました。しかし、ここでもコーチング時と同様な感覚を得ました。ランの設定ペース遅くない?スイムのボリューム足りなくない?といった感じです。有名な本と実績のあるコーチのトレーニングが似ていてそれが経験の少ない自分の感覚がずれていると、さすがに自分が間違いで考え方を改める必要があると理解し、今シーズンは本に倣うと決心しました。しかし、短い自分の経験を振り返って、ガルズの練習に参加しつつ自主練で低強度長時間練を積み重ねた時期が一番伸びたよなあという思いがシーズン終盤まで残ることになります。実際、スピード、持久力、パワーの落ちも実感していました。

 バイクによる脚の痛みは良くなったものの、2時間ほど乗ると痛みだすので、PTのOさんに進めていただいた整体に月1で通うことにしました。

 7月下旬、アクアスロンくらはしSタイプに挑戦しました。スイムは予想外にも1位で上陸。ペースはアイアンマンでの自分の目標に及びませんでしたが、自信に繋がりました。ランでは痛みは全くありませんでしたが、補給で冷たい飲料を摂りすぎてお腹を下し、2回トイレに行きました。2回目はすぐ近くにトイレがなく、走るとお腹が揺れてダムが決壊しそうだったので、付き添いの方が見つけてくれた次のトイレまで30分強歩きました。宮古島で完走できなかった分、ここで結果を残してアイアンマンに向けて勢いをつけたかったのですが、最終的に6位まで順位を落とし、残念な結果に終わりました。


◆  8月

 アクアスロンくらはしを終えてからというもの、その疲労を引きずっているのか、エアコンの効いた室内ローラーで250Wを8分も維持できないなど全く体が動かず日々が続きました。これはまずいと焦り、強度を下げてでも長時間練をこなそうとしますが、今度は暑さがきつい。こんなに去年暑かったっけ、この時期に尾道ライドしなかったっけと思いながら野呂山をゆっくり上っていると、サイコンの心拍数は170bpmを超えることもありました。原因は、今年は梅雨が短く暑熱順化が上手くいかなかったこと、そもそも暑熱順化トレーニングを行わなかったことにありそうです。なんで暑熱順化トレーニングに取り組まなかったかを考えれば、ロングに向けて自主練を中心に行ったことが要因です。「例年、ニースのレース日の最高気温は25℃ほどで、去年程暑熱順化に時間を割く必要はない。ロングのトレーニングは長時間に及ぶし、暑熱による疲労を避けるために涼しい環境でトレーニングしよう」と考えていました。結果的に、レース中に暑さがきついと感じることはなかったので、この考え方が全くダメだったわけではないですが、日本で積むトレーニング(特に屋外)がいかんせん上手くいかなかったという点でやはり暑熱順化トレーニングは重要だと実感しました。

 8月下旬、用事で大阪に行ったのですが、幸運なことにホテル付近に屋内50mプールがありました。水温は27~28℃でこれは絶好の機会と思い、ここで3000m泳を行いました。スピードは遅かったですが、トレーニングをあまり積んでいなかった自分にとってやり切ったことは自信につながりました。

 8月全体を通して、トレーニング以外にも卒論、留学準備に追われていました。何か1つの作業の流れが崩れると他に影響が出るようで、「脚治らないなあ」という気持ちが募るとメンタルは後ろ向きになり、卒論や留学に対しても大変だなあといったネガティブな姿勢になっていくという負のスパイラルに陥っていたと振り返って思います。これも直したい!


◆  9月

 レースまであと2週間。初週には4日間の集中講義。履修登録したのは他でもない自分ですが、その時になるまであんなに煩わしいとは思いませんでした。トレーニングについては、正直何をしたかあまり記憶がありません。「高強度と低強度、どちらで得られるトレーニング効果も今の自分には同じくらい大事だけど、レースの運動時間を考えれば低強度を優先した方がいいか」くらいの気持ちで、とりあえず体を動かすと言った感じだったと思います。この頃、故障から来る焦りは諦めに変わっていたと思います。それに加えて、周り、特に家族から色々なサポートを受けてきたことに対して申し訳ない気持ちも募りました。


◆  アイアンマン世界選手権

 レースまでどう過ごしていたかなど書くことはたくさんありますが、書き疲れてきたのでレース当日について覚えていることを文字に起こそうと思います。


4:00 起床

5:15 開場 水温発表(24.5℃以上でウェットスーツ禁止)

この時間に合わせて会場に到着しました。水温は24.9℃、ウェット禁止。まじかーと思いつつも、前々日のブリーフィングで24.5℃を超えていた時からそんな予感はしていました。

トランジへ入場、準備開始。自分のバイクのもとに行き、備え付きのフロアポンプでタイヤに空気を入れました。この時、自分の近くのフロアポンプはどれも壊れていて、少し遠くの方まで壊れいないやつを探しに行きました。全部壊れていたらどうしようという不安に駆られたので、自分のポンプを持参するに越したことはないですね。

ドロップオフエリアへ移動。会場に持参した荷物をボランティアの方に預けました。キャップとゴーグルと水を持ち、あとはスタートラインに立つだけ。



          

7:30 レーススタート

18-24歳という一番若いエイジグループに属する自分は、最初のウェーブでスタートを切りました。一番印象に残っているのは、ビーチが3cm大位の石で出来ていて、その上を走っている時に足裏がめっちゃ痛かったことです。痛みを感じながら、泳ぎ終わったらここに上陸するのか…という思いがよぎりました。

コースはM字を描くワンウェイ。最初は気持ちよくスタートし、誰の後ろにつこうかと様子を見ながら泳いでいました。しかし、皆自分より速くてなかなか相手が捕まらない。結局、マイペースで一人で泳ぐことに切り替えました。スタートしてからしばらくすると、一気に十数人に抜かれる瞬間がありました。自分たちの次のウェーブの上位選手たちです。ここで実力差を痛感しました。その後も何回か同じことがありました。その後は、特に大きなトラブルなく、淡々と泳いでスイムアップしました。

全体を通しての感想は、「練習不足」の一言です。スイムに関して言えば、練習の障害となる故障は全くなかったので、着実に実力をつけられるはずのシーズンでした。しかし、他にやることがあってトレーニングに割ける時間が減ったほかに、そのやるべきことの忙しさとバイクが故障で練習できないフラストレーションが原因で気が滅入ってトレーニングを怠ったことが主な原因だと思います。


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8:34 バイクスタート


 

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長いトランジをビンディングシューズで走って乗車ラインを越え、その場でバイクに跨ってバイクパートをスタートしました。身体的にかなり余裕があるパワーで踏むつもりが、スイムが思うようにいかなかったことで気持ちが焦り踏みすぎていました。


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そうこうしている内に、ニース最大の登りにやって来ました。これが想像以上にきつかった。この時まで、平坦だろうと登りだろうとパワーさえ一定ならケイデンスが変わっても無問題!と思っていましたが、実際登ってみると低ケイデンスで(インナーローのためギアを落としてケイデンスを上げられない)長時間上り続けるのはかなりきつく、筋肉の疲労が徐々に蓄積していきました。


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所々に平坦はありますが、2時間を過ぎたときには平坦や下りでもあまり踏めないほどに疲労していました。それでも感想を目標に進んでいると、今度はフォームが崩れてしまい、故障部位にも徐々に痛みが蓄積しました。DNFか続行かを迷いながらエイドを一つ通り過ぎ、結局30分ほど考えた末にDNFすることに決め、バイクスタートから3時間半ほどたってエイドでDNFを申告しました。


1.       今後の予定


このままじゃ終われない!!

 と思っています。でも、故障が治りきっていないのも事実。したがって、それが治るまではベースと動きづくりに時間をかけ、治ってからレースのことを考えるつもりです。

 今シーズン、ここを治したらもっと良くなるなというところをたくさん見つけました。

1) 完全オフ期間は練習再開がきつくて自分に合わない。軽くでも体を動かすことを継続する。

2) 練習や私生活で一気に色々な変化を加えると、怪我につながるし、怪我をしたら原因が分からない。変えるなら一個ずつ、慣れたら次。

3) 何か一つのことで上手くいかないと、気が滅入って他に取り組んでいることにも支障をきたす。改善策は分からない。

4) 継続するのはやっぱり難しい。やりたくないときも、やった先に何があるのかを考えて怠けずに取り組む。

5) トレーニングの質を考えすぎて頭でっかちになってる。質より量。っぱ量、質も気にするけどまずは量。少しずつ量を増やしていって、それでも伸び悩んだ時に質をもっと大事にするというのでも遅くない気がする。


他にも改善の余地はあるかもしれないけど、まずは自分で見つけたこれらを少しずつ直しながら、トレーニングを楽しんでいこうと思います。何でもとりあえずやってみて、反省して、それを次に生かすことで成長すると信じてます!まだまだ私のトライアスロン人生は続きます!



以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

 
 
 

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