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…長い間!!! クソお世話になりました!!!


入学式、トライアスロン部には入ろうと思っていたのでビラ配りでは自分からビラをもらいに行った。渡してくれた哲平さんはちょっと引き気味だった。


とにかく部活の練習についていくのに必死で、特に当時苦手だったラン練がある月・水曜日は憂鬱だった。バイクでも黒瀬の移動や仁賀ダムの帰りに発生するアタック合戦に必死に喰らい付いた。


初めてのトライアスロンとなったさぎしま練習会は今でも5本の指には入るくらいのきついレースだった。

ゴール後に準備されていた飲み物を飲みすぎたせいで、その後鉄平と感動的な同伴ゴールをした時にはほぼコーヒーしかなかったのはちょっと申し訳なかった。


インカレは留学に行っていたため、直接応援することはできなかったが、1人しか完走できなかったと聞いた時は悔しかったし、来年は自分が出て絶対なんとかしたいと強く思った。


競技力が上がることはもちろんだが、当時ちゃらんぽらんな30は先輩方に注意されることも多々あり、人間的にも大いに成長した1年生だった。


翌年、前年のインカレの結果からこの年はインカレ枠が5枠しかなく、しかも中四国の他大学にもライバルがいたため、1年を通しての緊張感というかひりつきが半端なかった。

この年のインカレ予選も灼熱地獄のレースで、5本の指に入るきつさだった。

なんとか予選を突破し、インカレ出場を決めた。

最初の団体目標は「順位をつける」ことだった。


個人としてもしっかり完走し、団体順位も12位に入ることができた。


その後のインカレ旅行を企画して楽しみにしていたが、完走後、アドレナリンが切れた自分は体調を崩して橋本さんの車で強制送還されることとなった。




その後はコロナ直撃により部での練習が全くできなくなってしまった。

レースはインカレしかなく、予選ですら過去の記録から選考するという方法で決める他なかった。

講義もオンラインになり、誰かと遊ぶことも減ってしまった。

幹部としての仕事(メニュー作成等)もほとんどできなかった。

コロナ期はレースがない分思い出も少ないが、大学4年のインカレは第5集団くらいのスタートから回収に回収を重ねて先頭集団まで追いついたレースになり、最高に楽しかった。



大学院に入ってからは研究、就活などで練習に割ける時間が減ってしまった。実際、4年〜M1の春休みまではTTの自己ベストが全く更新できないプチスランプに陥っていた。TTは調子が悪かったが、コロナ禍も落ち着いてきて中国ブロックなどの合宿には参加でき、ジュニアの強者達に必死に喰らい付いていたおかげでレースでは結果を残し、インカレで初めて団体で入賞することができた。この年のインカレは全体の完走率が低く、レース中に最悪団体順位つかないかもと思いながら走っていたので、応援に来てくれた村田さんの「雅人ラン入っとるよー!!!!」の声かけにはとても助けられた。同時に1年生の頃の光景が思い浮かんで感慨深かった。



最終学年、M2

とにかく悔いのないトライアスロン人生にしたいと思っていた。(前年の話だが)橋本さんのIRONMAN匂わせ投稿に即座に反応して一緒に申し込み、卒業までには出たかった皆生にも出場を決めた。一方でTTの方も覚醒し、認定13級でBシードを取ることもできた。毎年1番緊張するさくらおろちの念願の国体、日本選手権の権利を獲得、西日本インカレ もチートバイク使用により優勝し、上々のスタートを切ることができた。


IRONMANは初めての海外遠征でとても不安だったが、ツアーに参加したので安心して遠征ができた。レースはバイクで頑張りすぎてランでご愁傷様状態になってしまったが、応援の熱もレベルが違って本当に出て良かったと思った。一緒にツアーに参加した人とはとても仲良くなって色々な話が聞けたし、レース後日本人のロングを主戦場としている方々とも繋がりができて得るものも非常に多い遠征だった。


でもタイムは納得いかなかったのでいつかケアンズでサブ9.5リベンジしたい。


その後はなかなか調子が上がらず、インカレでも結果を残すことができなかった。広島のブルちゃんを裏目標として掲げていたが、なかなかうまくはいかなかった。


そんな中で日本選手権を迎えることとなった。


学生最後のレースとなった日本選手権

この日のためにわざわざ遠方から応援に来てくれた同期、先輩方、そして家族。


悲しい顔は見せられない。

完走以外許されない。


そんなプレッシャーが自分に力をくれた。

チームメイトに関わらず、他大学の方々の応援の声もたくさんあった。

でも鉄平の応援の声は人一倍大きかった。


レース中は今までで1番きつくて何も考えられなかった。完走した後の出迎えてくれたみんなの表情は今でも忘れない。


自分にとって学生最後に最高のレースができた。

楽しいことも辛いこともたくさんあったが最高の6年間だった。



今まで僕に関わってくれた皆さん

本当にお世話になりました。

僕がここまで競技力はもちろん、人間性においても成長できたのはガルズに入って色々なことを教えてもらえたからに他なりません。

ついに自分も社会人になってしまいますが、ガルズに入って特に意識させられた、アンテナを張って行動することを念頭に入れて頑張りたいと思います。


現役ガルズの皆さん

今まで僕と関わってくれて本当にありがとうございました。今更僕から言えるアドバイスなんてほとんどないけど、1つあるとしたら


トライアスロンを全力で楽しんでください。


当たり前だろって思うかもしれませんが、実力が上がるほど、歴が長くなるほど練習量や機械的なスケジューリングを組むようになって入部当初の練習に対する純粋な気持ちが薄れていく気がします。

自分も特に実際結果が求められるようになってきた大学院からは練習をやらなきゃ、という義務感が生まれてしまい、そのせいで練習が楽しめなくなり、成長も感じなくなるようになって ー負の連鎖ー みたいな時期もありました。

具体的にどうすればいいか言うことは難しいですが、あまり気負いすぎずに楽しんで練習に取り組んでください。







…長い間!!! クソお世話になりました!!!

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